


山崎(やまざき)は、千葉県野田市の大字。2011年2月1日現在の人口は19,095人。郵便番号は278-0022。江戸川左岸低地と下総台地西縁にあたり、野田市の南部に位置する。江戸時代は宿場町として栄え、後に地内中央を縦断する千葉県道5号松戸野田線(流山街道)および東武野田線沿線を中心に発展した。東は下三ケ尾、西三ケ尾および二ツ塚と接し、北は清水 (野田市)・堤根・花井・上花輪および桜台と接し、西は今上と接し、南西は、当大字から分離した大字山崎貝塚町・大字山崎梅の台及び大字みずきと接し、南は流山市の西深井及び東深井と接している。大字山崎内の小字は、以下のとおり。松の一(まつのいち)、松の二(まつのに)、下梅(しもうめ)、上梅(かみうめ)、藤(ふじ)、南大崎(みなみおおさき)、東大崎(ひがしおおさき)、西大崎(にしおおさき)、藤台(ふじだい)、梅台(うめだい)、上里(かみさと)、下里(しもさと)、南大和田(みなみおおわだ)、西大和田(にしおおわだ)、北大和田(きたおおわだ)、東大和田(ひがしおおわだ)、北山(きたやま)、上宿(かみじゅく)、宿里(しゅくさと)、宿(しゅく)、北中地(きたなかじ)、中地(なかじ)、殿山(とのやま)、北新田(きたしんでん)、西新田(にししんでん)、南新田(みなみしんでん)、東新田(ひがししんでん)、島(しま)、亀山(かめやま)、東亀山(ひがしかめやま)、北亀山(きたかめやま)、西亀山(にしかめやま)、山崎新田(やまざきしんでん)、中木戸(なかきど)奈良時代および平安時代の集落跡が見つかっている。9世紀後期の墨書土器が、山崎東大和田遺跡で見つかっている。1590年(天正18年)に岡部長盛が下総山崎藩の藩庁を当地(下総国葛飾郡山崎村海福寺付近)に置いたが、翌年堤台村へ移った。日光東往還の1番目の宿場山崎宿(水戸街道の小金宿から3里27町)が現在の梅郷駅の西側(山崎宿バス停付近)に置かれた。山崎藩領の後、旗本一色氏領となり、1673年(延宝元年)から幕府領となった。1730年(享保15年)に山崎村は、亀山新田および山崎新田を編入したが、1830年から1843年の天保年間までに亀山新田を分村した。1868年(慶応4年4月)に、山崎宿で原田左之助が靖兵隊を離隊した。山崎村は、明治初年までに亀山新田を編入し、1873年(明治6年)6月15日に千葉県に所属し、同年中に山崎小学校が開校した。1878年(明治11年)に東葛飾郡に編入した。
出典:wikipedia
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