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トンブリ級海防戦艦

トンブリ級海防戦艦( とんぶりきゅうかいぼうせんかん、HTMS Dhonburi Class Coastal defense ship)は、タイ海軍の海防戦艦の級名。本級はタイ海軍が自国の沿岸防御のために、フランス極東艦隊を仮想敵として建造した戦闘艦艇である。1934年のタイ海軍第一回拡張計画により、1番艦トンブリ・2番艦スリ・アユタヤ共に日本・神戸の川崎造船所で建造された。本級は砲艦ラタナコシンドラ級(1,000トン級、15cm砲2基)の拡大型として計画され、2,000トン級の船体で20cm連装砲2基という重武装と一定の外洋航行能力を両立させる目的から、船体は艦首甲板の高い長船首楼型とした。船体形状は凌波性を持たせるため強く傾斜したクリッパー型艦首から前部甲板に強いシア(甲板の反り返り)を付け、前半部の乾舷を高めている反面、重心低下のため艦中央部より後方の乾舷は水面付近まで低くしてバランスを取っていた。高温多湿のインド洋で使用されるために通風を優先して舷側には上下2列の舷窓が全長一杯に配置しており、下段は水線部装甲以外の前後部に設けられた。伸び上がった艦首甲板から一番下がった部分に測距儀を収めた20cm連装砲塔(日本の五十口径三年式二〇糎砲と同形)1基を配置し、この1番主砲塔から後部で甲板は艦橋部で最も持ち上がる。本級の艦橋部分は近代的な塔型艦橋の三段構造で、一段目は操舵艦橋、二段目が戦闘艦橋となっており、側面部は柵の付いた見張り台となっていた。三段目が対空見張り台でその後部から中段部に探照灯台が配置した測距儀台が立つ。艦橋デザインは同世代の日本海軍の重巡洋艦古鷹型・青葉型との類似性が見られた。艦橋を形成している上部構造物の両舷には、7.62cm高角砲を単装砲架で片舷に各2基ずつ計4基配置している。(これらはタイ王立海軍博物館に移設した実物が展示されている)艦橋背後の上部構造物上に軽構造の三脚式の前部マスト立ち、そこから甲板一段分下がって中央部甲板上には中段に探照灯台1基を配置する小判型断面の1本煙突が立つ。煙突両舷にはグース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷1基ずつ計2基が装備されており、その後方の艦載艇置き場から艇を水面部に上げ下ろしできる様になっていた。艦載艇置き場の後方は更に甲板一段分下がって後部甲板が始まり、そこに簡素な単脚式の後檣と頂上部に見張り台を持つ後部艦橋が配置され、その背後に後向きに後部主砲塔が1基搭載されている。一段目の見張り台と後部見張り台には毘式四十粍機銃(ヴィッカース製QF 2ポンド砲 Mk VII(ポムポム砲)を日本でライセンス生産したもの)を連装砲架で1基ずつ計2基を配置していた。船体が小型なために機関は大型な物を搭載できず、ドイツのMAN社製ディーゼル機関を二基積み、二軸推進で出力5,200馬力、速力15.5ノットを出した。燃料搭載量は重油150トンで、12ノットで5,800海里を航行することが出来た。1番艦トンブリと2番艦スリ・アユタヤは日本の川崎重工神戸造船所の同一船台上で順次建造された。2隻は1936年に起工、スリ・アユタヤは1937年7月31日に進水、1938年6月16日に竣工した。トンブリは1938年1月31日に進水、同年8月5日に竣工した。その後は同海軍の旗艦としてタイの海を守りつつ諸外国の海軍士官を招いて交流を続けた。トンブリは1941年1月16日のコーチャン島沖海戦でフランス東洋艦隊と交戦し、損傷・擱座。その後はタイの依頼により神戸の川崎重工が離礁作業を請け負い、1941年末に日本サルベージの手で引き上げに成功した。しかし船体の破損は著しく、戦後も永らく繋留状態のままで練習艦等として使用されていたが、老朽化が進み、後に砲塔と艦橋構造を海軍兵学校の校庭に陸揚げして残りは解体処分とされた。本艦の砲塔と艦橋構造物は2010年現在も現存しており、当時の日本が建造した艦船と同様の艤装と思われる(少なくとも外見上は妙高型重巡洋艦のD型砲塔に酷似している)ため非常に貴重な存在であるにもかかわらず、調査された形跡は無い。スリ・アユタヤはコーチャン島沖海戦での被害はなく行動能力を維持していたが、1951年6月のクーデターの際に座礁し、その直後にタイ陸軍からの砲撃を受けて6月30日に大破・沈没した。後に浮揚されて解体された。

出典:wikipedia

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