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おかげ横丁

おかげ横丁(おかげよこちょう)は三重県伊勢市の伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にあるお蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の門前町の町並みを再現した観光地である。運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である有限会社伊勢福が行う。おはらい町の中ほどにあり、伊勢志摩を代表する観光地となっている。赤福社長であった濱田益嗣の指揮の下、当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけて1993年(平成5年)に完成した「小さな町」である。伊勢特有の町並みである妻入の建物や伊勢河崎の蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築した28の建造物群が並ぶ。お蔭参りで賑わった頃の町並みという統一したテーマの元で造られているが、おはらい町との間に門などの仕切りはなく入場料を徴収しないため、テーマパークではない。おかげ横丁とおはらい町の境界は分かりにくく、名称が類似しているせいか両者を混同するケースもある。伊勢志摩の特産物や土産を扱う物販店を中心に45店が営業している。伊勢神宮の門前町として栄えた宇治地区は、江戸時代には年間200 - 400万人もの参宮客が訪れた庶民の憧れの地であったが、高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には20万人にまで落ち込んでしまった。この状況を打開しようとこの地に本店を構える老舗和菓子店の赤福が立ち上がり、「伊勢おはらい町会議」を結成、わずか10年でおはらい町を伝統的な妻入り建築が並ぶ通りに修景した。更に赤福は1993年(平成5年)の式年遷宮に合わせて町の再生の起爆剤となる施設の建設を計画、「"おかげ"参り」と「商いを続けてこられたのは伊勢神宮の"おかげ"」という2つの意味を込めて「おかげ横丁」と名付けた。横丁には赤福社長の濱田益嗣のこだわりが強く表れ、岐阜県高山市や長野県小布施町などまちづくりで先行する日本各地を視察して造られた。建設費用の140億円は1990年(平成2年)当時の赤福の年間売上高とほぼ同額であったが、行政から補助金を受けることなく自己資金でまかなった。1992年(平成4年)9月28日には、おかげ横丁の運営を行う企業として「有限会社伊勢福」を設立、翌年7月に開業した。おかげ横丁の経営は間もなく軌道に乗り、開業から10年で借金の返済が完了した。おかげ横丁設立前の1992年(平成4年)には32万人だったおはらい町の往来者数は、おかげ横丁設立とともに増加した。2002年(平成14年)には入場者数が年間300万人を突破、2007年(平成19年)には400万人に達しようという勢いで、将来的な横丁の拡張が見えてきた。しかし、すべてが順調に見えた矢先の2007年10月12日、親会社の赤福の偽装事件が発覚し、大きな波紋を呼んだ。赤福は営業自粛を余儀なくされ、2008年(平成20年)の初詣で時期の営業ができなくなったが、おかげ横丁は偽装に直接関与したわけではないので通常通り営業を行っていた。その後、赤福は徐々に営業を再開し、現在に至っている。2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生、震災から2週間の来訪客数は2割減少したが、4月以降客数は持ち直し、ゴールデンウィーク(4月29日 - 5月5日)は例年並みの18万人の観光客を見込んでいる。持ち直した2013年(平成25年)には過去最高の655万人を達成している。2013年、前社長である浜田益嗣は、津市であったフォーラムの対談で「外人は来てほしくない。いたらおかしいでしょ。来ないでくれとは言えないが、英語の表記をするような気遣いはしない」などと発言した。おかげ横丁で唯一の有料施設。歴史館とテーマ館の2館からなる芝居小屋風の建物で、江戸時代のお蔭参りを映像と2分の1スケールの模型で今に伝える横丁の中心的な施設である。トータルメディア開発研究所(凸版印刷の関連企業)がプロデュースした。「平成」ボタンを押すと外に出られるといった遊び心のある演出がなされている。

出典:wikipedia

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