ドライゼMG13機関銃(Maschinengewehr 13, MG13)は、ドイツで1920年代-1930年代にかけて設計製造された空冷式機関銃である。第一次世界大戦後、敗戦国ドイツは自動火器の開発を制限され、保有していた水冷式重機関銃(MG08)も各国によって接収されてしまったために、ヴァイマル共和国軍では機関銃が不足していた。新規開発にあたり、共和国軍では大戦の戦訓から新型機関銃を機動力の無い水冷式重機関銃ではなく、歩兵が携行運搬可能な空冷式軽機関銃とする開発方針を定めた。スイスのゾロターン社での、後にMG30として結実する空冷式機関銃の開発と並行して、ドイツ国内でもラインメタル社によって第一次大戦型のドライゼ(Dreyse)M1918水冷式重機関銃を改造して空冷化することで新型機関銃が開発され、1928年-1929年にかけて射撃試験が行われた。これがMG13であった。「13」は1913年を意味し、この新型機関銃が大戦中に開発されていたかのように装い、連合国管理委員会の目を欺く事を目的とした名称であった。製造は、ヴェルサイユ条約下のドイツで唯一歩兵用銃器の製造が許されたズール(Suhl)のジムソン社(Simson&Co.)で行われた。MG13は、1930年からドイツ軍の標準軽機関銃として導入され、1932年にはドイツ軍に制式採用された。より高性能なMG34やMG42が開発されると、1934年からそれらに取って替わられる形で退役した。退役したMG13は1938年頃に、ほとんどがポルトガルとスペインに売却され、少数がスペイン内戦で使用された。ポルトガルではドライゼm/938機関銃の名称で1960年頃まで使われた。売却されなかった物は、少数がいくつかの第二線級部隊や警察で使用された他、第二次世界大戦末期にドイツの兵器不足が深刻になると、保管庫から引っ張り出されて、国民突撃隊の装備として再び配備された。他にMG13の短銃身型が、Kfz.13やSd.Kfz.221などの車載機関銃や、I号戦車の主砲(装甲貫徹力は射距離100mで8mm(30度))や、初期のJu87の後部座席の旋回機銃などとしても使われている。短銃身型をMG13kと呼称する。パイプ状の折りたたみ式銃床と、キャリングハンドルと、二脚架(バイポッド)が付属している。銃床は銃の右側面に折りたたむ。銃床のパイプ部分に、床板付きの単脚の後脚を取り付けることができ、床板付きの二脚架と合わせて安定した射撃姿勢をとることができる。スリングを銃の左側面に取り付けることができる。給弾は25発入りバナナ型マガジンを銃本体左側面に水平に挿し込む。1930年代半ばに開発された、75発入りダブルドラムマガジン(MG15用の物とは形状が異なり互換性無し)も使用可能で、銃本体左側面にドラムマガジン2個(2個合わせて装弾数75発)が縦に並んだ状態で付く。三脚架に載せ、対空機関銃として使われた。対空機関銃型をMG13kdと呼称する。ベルト給弾方式には対応していないので持続射撃能力はそれより劣る。初期に開発された機関銃であるMG13とMG30がマガジン給弾方式のみなのは、ドイツがヴェルサイユ条約でベルト給弾方式機関銃の開発を禁じられていたためである。ダブルドラムマガジンはゼンマイで実包を押し出す仕組みで、ベルト給弾方式ではないので条約には抵触しない。トリガーにはセミオートとフルオートの選択機能がある。 トリガーの上半分の窪みを引くとセミオートで、下半分の窪みを引くとフルオートである。 この機能はMG30やMG34と共通する。MG42のトリガーにはこの機能は無い。銃身はMG34と同じく容易に交換が可能である。
出典:wikipedia
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