武公(ぶこう、? - 紀元前678年)は、秦の第5代公。寧公の長子。寧公の長子として生まれ、太子に立てられる。寧公12年(前704年)、寧公が薨去すると、大庶長の弗忌と威塁の三父は太子の武公を廃し、末子の出子を立てて秦君とした。出子6年(前698年)、三父らは出子を殺し、武公が秦君に立てられた。武公元年(前697年)、彭戲氏を討伐し、華山の麓に行った。武公3年(前695年)、出子を殺した罪で三父らを誅し、その三族を滅ぼした。武公10年(前688年)、邽(けい)・冀の戎を討伐し、初めてここに県を置いた。武公11年(前687年)、初めて杜・鄭に県を置いた。また、小虢を滅ぼす。武公20年(前678年)、薨去し、雍の平陽に葬られた。また、初めて人を殉死させ、その数は66人におよんだ。武公の後は弟の徳公が継いで秦君となった。
出典:wikipedia
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