人口過多(じんこうかた)とは、人口収容力、人口涵養力に対し人口が多過ぎる状態のこと。住宅や社会サービス、食料などさまざまな基準において多過ぎるかどうかが問題となる。面積を基準にして人口が多過ぎる場合は人口過密とも言う。人口爆発などで人口問題が社会化してきた頃から頻繁に使われるようになった言葉である。人口過多は世界各地で様々な形で問題になってきた。先進諸国でも工業化が進展し始めて間もない頃から人口が急増し、様々な問題が噴出した。様々な「不足」に由来する問題が発生する。日本においては、江戸時代前期に人口の増大をみて以降、人口は安定期に入った。江戸時代前期の17世紀には、急速な人口増大により激烈な森林破壊が起こっており、多くの里山がはげ山化。無謀な新田開発もあって各地で洪水や旱魃が多発していたことが知られている。この反省から幕府や各藩は森林保護と開発規制に乗り出し、人口密度が高い江戸や畿内では里山の持続的管理や屎尿の再利用システムが発達した。こうして、18世紀後半以降、3000万人台の人口がほぼ閉鎖された列島内で持続可能性の高い社会を築くこととなった。しかし、開国以降、人口は急増し始め、日本社会がそれまでに築き上げてきた持続可能性に優れた社会システムは崩壊に向かう。食料は瞬く間に不足状態となり、食糧輸入国となった。特に農村における人口過多は慢性的なものとなり、明治時代後期から都市部にかなりの人口が移動したにもかかわらず耕地不足、林業地不足が深刻化した。北海道や本州の未開発地の開拓、農業技術の改良が急がれたものの、この時期の急激な人口増加を解決できるほどの生産増大は不可能であり、人口過多は重大な社会問題になった。必要な資源や領域(生存圏)確保の必要性が、拡張的な対外政策の最大の基盤となった。移民なども盛んに奨励されていた。特に農業に適した土地の開拓の余地が少ない長野や広島、岡山、和歌山、九州・四国の諸県、沖縄などから多くの移民が海外へ渡った。戦後、海外領土を失った日本では、再び人口過多が深刻化。この時期は、農林漁業の持続可能性を顧みない、なりふり構わぬ生産増大が行われ、日本の国土は著しい自然破壊を被った。それまで豊かな生態系を育んできた日本の天然林が失われ、多くの森林が人工林化。収穫を上げるために農地には化学肥料や農薬が大量投入され、人里で人間と共存してきた多くの動植物が絶滅に追い込まれた。ただ、これと並行して戦後復興とそれに続く高度経済成長で工業化が進展。国際的な購買力も向上し、エネルギー資源や農林水産物を世界から買い集めることで食糧問題などを解決した。現在、農山村は過疎化しており、農地などの土地資源は余剰気味である(耕作放棄地)。しかし今後新興国の経済発展・気候変動などによって資源価格が高騰し、日本が国内需要分の食糧、木材、エネルギー資源などの自給を強いられるようになれば、農地や太陽光発電用地などの需要で土地不足が生じ、人口過多問題が再燃する可能性も否定できない。合衆国は、広大な領土を背景にむしろ人口過少の状況から始まった。欧州から膨大な移民を受け入れ西方へ領土を拡大した。現在でも人口は増加しているものの、広大な領土に人口が分散している上、経済的にも豊かで人口過多ではない。欧州では、中世末期から農業革命などの食糧増産を背景に人口増加が始まり、産業革命による工業化がそれに拍車を掛けた。欧州人口の膨張はアメリカへの移民や拡張的な対外政策へつながり、世界へ大きな影響を与えた。20世紀前半には人口急増はほぼ収まり、いくつかの国では人口減少が始まっている。途上国でも、アフリカやアジアの国々を中心に人口が急増し、人口過多となっている。経済的に豊かでない国の場合、雇用や社会サービスなどあらゆるものが不足しており、社会不安の原因となっている。また、新興工業国でも、医療や教育などのサービス供給が不足している。雇用の不足している国では過剰な労働力が先進国へ出稼ぎに出ている場合もあるが、先進国との経済格差から専門教育を受けた労働力まで国外に流出し、医師・教師不足に拍車をかけている場合がしばしばである。人口過多への対策には次のようなものがある。
出典:wikipedia
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