SALON MUSIC(サロン・ミュージック)は、吉田仁と竹中仁見の2人によって構成される日本のニューウェーヴユニット。渋谷系のパイオニアで、多くのアメリカとイギリスのオルタナティヴ・ロックバンドに影響を及ぼした。日本国内外に熱烈なファンを擁す。アメリカ合衆国を代表するサイバーパンク作家のブルース・スターリングも支持しており、『la paloma show(ラ・パロマ・ショウ)』の再発CDにコメントを寄せている。13枚のオリジナルアルバム、各レコード会社編集のベスト盤(1998年発表の『girls at our tratt's best!』は新録やremix入り)をリリース、15枚のコンピレーションアルバムに参加。詳細は後述の作品の節を参照のこと。吉田は岡野ハジメとのQuadraphonics、竹中はSilver Finsという別ユニットの活動も行っていた。1980年、吉田仁と竹中仁見の2人によって結成される。活動開始時はニュー・ウェイヴ全盛期で、小粋で、ねじれたポップ感覚はイギリスでも注目された。1981年、イギリス・SOUNDS誌ジャパニーズテクノポップチャートで、セルフレコーディングのカセットテープ『hunting on Paris』がNo.1に輝く。1982年、イギリス、フォノグラムからデビュー。「hunting on Paris」は、アルバム『Tokyo mobile music』に収録され、後にシングルカットされる。同年、カセットマガジンTRA #2に参加。この頃は、六本木ink stickで定期的にライブを行っていた。1983年、ホンダ・バラードスポーツCR-XなどのCM曲のシングルをリリース。1stアルバム『my girl friday』を発表した。1984年、高橋ユキヒロプロデュースの2ndアルバム『la paloma show(ラ・パロマ・ショウ)』を発表する。バックにはムーンライダーズが参加している。同年、渋谷公会堂でライブを行う。1989年、イギリスの映像作家アンディG.とアランF.P.のスライドとのコラボライブ「psychic ball night」を行う。1990年、吉田仁は、フリッパーズ・ギターなどの他アーティストの作品のプロデュースやミックスを多数手がけるようになる。これを契機に、小山田圭吾主宰のトラットリア(Tratttoria)・レーベルに移籍しており、以降、アルバムを6枚リリースしている。2000年、ヨ・ラ・テンゴのオープニング・アクトを、翌年にはスパークスのオープニング・アクトを務める。2011年、9年振りとなるアルバム『sleepless sheep』をリリース。アルバム
出典:wikipedia
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