田尻 惟信(たじり これのぶ )は江戸時代の筑後国柳河藩の家臣で、一時期浪人となる。藩職は普請役。矢部川改修や回水路新設、柳河藩領の有明海海岸埋め立てや磯島、唐男、高碇井堰の新設などの土木事業に貢献。諱は惟信。通称は惣馬、惣次、惣右衛門。家格は組外書院番。石高は100石。「"田尻惣馬"」で一般的に知られる。立花鑑虎の時に組外書院番から、十時摂津組に転属し、16歳で扶持米を拝領。元禄8年(1695年)に江戸に上る。元禄14年(1701年)に病気の為に暇をもらい浪人となり、宝永6年2月28日(1709年)に以前と同じ扶持米をもらい再仕官する。後に城中普請役及び在方普請役に同時就任。父の田尻惟貞は永禄年間に立花道雪に仕えた田尻鑑春(河内守)から6代目の子孫という。惟信は惟貞の次男にあたる。通称は惣助。元禄年間に柳河藩の普請役に就任し、柳河藩の領内絵地図の作成に従事。元禄8年(1695年)に、上妻郡北山村の曲り松から山下までの矢部川沿岸1300間の千間土居の築堤工事が行われるが、この主任となる。元禄10年(1697年)には藩命により藩主家別邸の御花畠(現在の立花氏庭園「御花」)を創設。
出典:wikipedia
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