『のらくろ』は、田河水泡の漫画作品、その主人公である野良犬。およびそれを原作としたアニメ作品。大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて1931年から連載された。連載のきっかけは、『少年倶楽部』の人気小説「あゝ玉杯に花うけて」の作者である佐藤紅緑が、当時の編集長である加藤謙一に対し、「もっと漫画を載せたらどうか。漫画は家中みんなで読めるし、なにより誌面が明るくなるからね」とアドバイスをしたことであった。戦前の漫画としては稀有な長期連載となっていたが、1941年に内務省の役人から「この戦時中に漫画などというふざけたものは掲載を許さん」というクレームが入り、編集長がやむなく打ち切りにした。戦後も潮書房の雑誌「丸」に探偵の物語として1981年まで執筆した。また、田河の編集による「漫画トランク」(東京漫画出版社刊・昭和22年12月20日発行)にも掲載されたのをはじめ、後述のように戦後のリバイバルブーム期に講談社と普通社とろまんす社から復刻連載版と単行本版が発行あるいは刊行された。なお、最も早い大日本雄辯會講談社版『のらくろ二等兵』再録版は連載最終話と同時に同社発行の初期作品集「漫画常設館」誌にて収録され、初期の兵制改変に伴い当時の新規の兵制に合わせて復刻加筆されている。日本の漫画の萌芽期に人気を獲得。当時は、雑誌だけにとどまらず子供向けの商品には次々にのらくろが登場した。現代のキャラクター商品のはしりともいえる「のらくろ墨」、楽器「のらくろハーモニカ」、筆箱、幼児用の玩具、ハンガーなどが発売された。著作権は、このような第二次的な商品にまでは法的規制の及ばない時代で、ほとんど原作者や出版社の無許諾商品である。これに関して原作者の田河は「ええじゃないですか、みなさんよろこんで使ってくれるんだから」と鷹揚なものだった。1989年に漫画執筆権を弟子の「のらくろトリオ」(山根青鬼、山根赤鬼、永田竹丸)に継承した。田河と山根赤鬼の死後も「のらくろトリオ」によって新作が発表され続けているが、田河の作品よりギャグ漫画色がどちらかといえば強い。初出から80年以上を経た今(2014年現在)でもキャラクター関連商品等が多数販売されている。なお、弟子の長谷川町子の『サザエさん』と同様に、『中部日本新聞』の夕刊に昭和31年1月4日~同年6月29日の間掲載された事がある。こちらの作品の題名も『のらくろ』だが外伝に位置し、のらくろの息子(小学2年)が登場してシンを張っていて、親の方と同じ呼ばれ方で登場する。また、戦後に描かれたのらくろ正伝終盤の伏線が張られている(母親の姿など)。のらくろの息子は掲載誌の関連もあり中日ドラゴンズが大好きな野球少年となっている。親父ののらくろに絡む話もあり、ブルとデカは重要な役回りで登場する。後に正伝『のらくろ中隊長』(昭和36年1月号~昭和43年10月号「丸」連載、昭和38年12月号にて一時中断し『のらくろの息子』をはさんで昭和42年3月号から再開している)にて赤子にて登場した。正伝『のらくろの息子』(昭和41年2月号~昭和42年2月号「丸」連載。第4回より改題、『のらくろの息子デス』に変更)に登場するデスはこの息子の後年の姿。また、デスは「ぼくら(後の『ぼくらマガジン』→『テレビマガジン』・講談社)」版『まんが自衛隊 のらくろ二等兵』(昭和38年6月号~12月号)の主人公(時代的には『ぼくら』読者層と同年齢であるので新聞版の上、『~"デス"』の下の年齢の頃)でもある。ノラ(野良犬・孤児)の黒犬・のらくろ(野良犬黒吉)が、猛犬聯隊(猛犬連隊)という犬の軍隊へ入営して活躍するという話(舞台モデルは帝国陸軍)。最初は二等卒(二等兵)だったが徐々に階級を上げ、最終的に大尉まで昇進する(当初、のらくろを少佐に昇進させるつもりだったが軍から苦情があり、やむを得ず大尉で除隊させた。別説では、少佐になると偉くなり過ぎて前線にはやたらに出せず、動かし難い)。戦後に描かれた話には、戦闘描写はあるがほとんど誰も死なず、物語の序盤で軍隊は解散する。孤児ゆえの辛さを描写する事もあるが、田河はこの辺りの描写を自分自身と重ね合わせたという。ブル聯隊長、もしくはモール中隊長が父親的な役割を演じている。いわゆる正伝では最終的に所帯を持ち、喫茶店の店主になるが、外伝では様々な職業を手がけている。1935年には、「瀬尾発声漫画研究所」主宰の瀬尾光世によるアニメーション映画、『のらくろ二等兵』、『のらくろ一等兵』が映画撮影され公開。戦時下の1938年にも同じく瀬尾の手による、『のらくろ虎退治』(芸術映画社)が公開されている。当時としても少国民らに人気となり、シリーズ化された(いずれも白黒映画)。それ以前にものらくろのアニメーション映画は製作されている。『のらくろ二等兵』が 横浜シネマで1933(昭和8)年に、『のらくろ伍長』が横浜シネマで1934(昭和9)年に製作されている。戦後にテレビ放送が盛んになると、連続アニメの番組がテレビ向けに量産されるようになったが1970年10月5日 - 1971年3月29日には、エイケン(TCJ動画センター)によりテレビアニメ『のらくろ』が放映。主人公のらくろの声は大山のぶ代。カラー映像で放映されたが、世間ではまだ白黒テレビも多かった時代である。また、1987年10月4日 - 1988年10月2日にはスタジオぴえろによりフジテレビ系列でテレビアニメ『のらくろクン』が放映された。のらくろ(のら山くろ吉)の孫、のらくろクンを主人公としており、ギャグアニメ色が強いものであった。のらくろクンの声優は坂本千夏、祖父のくろ吉役を八奈見乗児が演じた。のらくろの世界が人間界と別に存在するという設定になっており、人間界の木下家を間借りして「のらくろ探偵事務所」を開くという、『のらくろ捕物帳』を意識した設定になっている。原作に準じた設定で記述する。瀬尾光世の主催していた瀬尾発声漫画で制作されたモノクロ版のアニメ映画。映画公開に際して、軍歌「勇敢なる水兵」のメロディーに歌詞を付けた「のらくろの歌」が作られた。この歌詞にある「陽気に元気に生き生きと」という言葉は、戦後朝日放送ラジオの「おはようパーソナリティ」のキャッチフレーズに使われたことがある。1970年10月5日から1971年3月29日の毎週月曜日の19時00分~19時30分にフジテレビ系列で全26話(カラー作品)が放映された。「明治百年(西暦1967年、昭和42年)」にあたるこの時期に昭和初期のリバイバルブームが起こり、上述の通り「少年倶楽部」連載版をおさめた『のらくろ漫画全集』が復刻・刊行されてヒットした。これを受けて1970年にアニメの制作に至る。軍隊の話という基本設定は原作と同じであるが、原作の要素「のらくろの出世」は戦後の時代を考慮してはずされ、のらくろは最後まで「二等兵」でデカと同僚の設定。また、原作に女性キャラクターのいない点を補い、従軍看護婦のミコがオリジナルで追加された。原作が昭和初期の作品であることから、当時の子供向けテレビアニメとしては珍しく大人からの反響が大きかった。本放送開始以後、1970年10月末までにフジテレビには約2,000通の手紙が寄せられたが、その中の約40%が大人からのものだった。大人層からの反響では、原作から戦後向けにアレンジされた点(特にアニメオリジナルキャラクターのミコ)に関しては概ね不評だった。名前の後ろに☆印のあるものはアニメオリジナルキャラ。年代不明ながら次の4本(VHS)がビデオソフトされたが、いずれも現在は廃盤になっている。DVDでは、2012年に安価DVD「アニメの王国」(ニューシネマジャパン)の一環として、第1回と第5回を収録した「01」と、第2回と第3回を収録した「02」が発売された。オープニング・エンディング映像は、1986年に東映ビデオから発売&レンタルされた「TVヒーロー主題歌全集 8(エイケン篇)」(VHS)と、1999年12月より同じく東映ビデオから発売された「エイケンTVアニメ主題歌大全集」(VHS、LD。後にDVDも)に収録されている。しかし収録されたOP映像はオリジナル版ではなく、先述の「他局再放送用」版である。2016年8月にベストフィールドから「想い出のアニメライブラリー」シリーズの一環として、DVD-BOXが発売。放送終了後45年にしてようやく全話が映像ソフト化された。なおOPフィルムは「再放送版」かオリジナルかは未定。1987年10月4日から1988年10月2日までフジテレビ系列で毎週日曜日の18時00分~18時30分に放映された。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)制作、全50話。
出典:wikipedia
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