月岡 雪斎(つきおか せっさい、生年不明 - 天保10年2月1日〈1839年3月15日〉)とは、江戸時代に大坂で活躍した浮世絵師。月岡雪鼎の長男。大坂の人。通称は為三郎、名は秀栄。字は大素。巍江斎と号す。父雪鼎と狩野派の吉村周山に絵を学んだ。天明(1781年-1789年)末から天保(1830年-1844年)の頃に活躍し、天明7年(1787年)頃には父と『和漢名家画繍』を合作している。安永7年(1778年)に、父雪鼎が法眼になるのと同時に法橋に推免せられ、更に父同様法眼に進んでいる。また後年には江戸に移ったともいわれる。人物画や花鳥画を得意としていたが、特に肉筆美人画にその手腕を発揮し、雪斎による美人画は父雪鼎より練達した筆致で描かれ、注目すべき作品が多い。法橋期は美人画を雪鼎譲りの豊麗さと可憐の風情で描いたが、法眼期になると当世美人に加え古典的主題を得意とするようになった。墓所は下谷竜泉寺町の竜泉寺にあったが現存しない。子に雪操と雪洞、門人に弟の月岡雪渓がいる。雪斎の養子になったとされるのが月岡芳年である。
出典:wikipedia
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