由田 慎太郎(よしだ しんたろう、1981年7月20日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(外野手)。石川県金沢市出身。小学生時は金沢市東部地区にある「金沢城東メッツ」の第17期生としてプレー。桐蔭学園高等学校では3年時に4番・一塁手として第81回全国高等学校野球選手権大会に出場。準々決勝で正田樹を擁する桐生第一高校に敗れベスト8。卒業後は早稲田大学に進学し、鳥谷敬・青木宣親・比嘉寿光らと同期となる。比嘉とともに1年の春からレギュラーを獲得し、4年時のの東京六大学野球春季リーグ戦で首位打者、ベストナインを獲得。2003年東京六大学野球秋季リーグ戦では打点王、ベストナインを獲得。好機に強い打撃でたびたびチームを救い、リーグ4連覇に貢献した。リーグ通算80試合出場、272打数80安打、打率.294、4本塁打、50打点。2003年度ドラフト8巡目でオリックス・ブルーウェーブに指名を受けた。末の分配ドラフトを経て2005年からはオリックス・バファローズと契約している。はチームに名字の読みが同じ吉田修司がいたため、打順が回ってきたときは「よしだ しんたろう」とフルネームでコールされていた。オープン戦ではマーク・クルーンから本塁打を放つなど、3割を超える好調な活躍ぶりが認められ開幕1軍入りを果たし、5月17日にはプロ入り初本塁打も放つなどブレイクを予感させたが思うような結果が残せず、結局22試合出場に終わる。は坂口智隆、下山真二が台頭したことで出番が減少、わずか1安打を放つのみの結果となる。は更に激化した外野のレギュラー争いに割って入ることが出来ず二軍でくすぶっていたが、怪我人続出のチーム状況により、8月27日に一軍昇格、スタメン起用もされたが、打撃面では打率.182と振るわなかった。しかし、守りでは、8月29日の西武戦で同点で迎えた9回表に、勝ち越しの走者を刺すバックホームを見せ、その後のチームのサヨナラ勝ちに繋げた。は主に代走・代打で17試合出場するも、打率.067のわずか1安打を放つのみに終わった。なお、この年唯一の安打は、京セラドーム大阪で放ったエンタイトル2ベースである。はシーズン前半は一・二軍を行き来していたが、8月下旬に3度目の昇格を果たすと、8月31日の対ソフトバンク戦では4年ぶりの本塁打を放つなどの活躍を見せ、9月は9番・右翼手でスタメン出場する機会を得た。後半は調子を落とし二軍降格となったが、自己最多となる32試合に出場し、前年までの通算11安打を上回る16安打を放ち、ほぼ全ての面でキャリアハイとなる成績を残した。は20試合の出場に留まり、打率.152に終わった。なお、二軍では7月13日のウエスタンリーグ・対中日戦で、浅尾拓也からシーズン唯一となる本塁打を放っている。2012年11月1日付けで戦力外通告。同年12月28日にオリックス・バファローズのスカウトに就任する事が発表された。二軍では毎年2割8分前後の打率を残し、外野守備もうまく、安定した成績を残していた。しかし左投げのため守備位置が限定されることや、長打力があるわけでも飛びぬけて俊足というわけでもなく、これといった特徴に欠けるタイプのため、一軍定着出来なかった。現役時代に打った2本の本塁打は、いずれもソフトバンク戦で放ったものである。大学時代、当初はプロ入りは考えておらず、一般の学生同様就職試験を少なくとも二社(「週刊ベースボール」誌上で本人談話)受験も不合格となり、一転プロ入りを検討、ドラフト指名されなければ再び一般人として求職活動することにしていた。実際に指名したオリックスは興味を示していたものの、指名を確約するほどでもなかった。ドラフト当日、鳥谷、比嘉、青木が指名されていく中、8巡目でようやく指名され涙ぐんでいるのがニュースで報道された。第一文学部日本史学専修を卒業したが、同専修初のプロ野球選手ということで、専修別に行なわれる卒業証書授与式では先生から一言求められ、「夢を諦めずに追い続ければいつかは叶う」と述べている。
出典:wikipedia
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