『愛の貧乏脱出大作戦』(あいのびんぼうだっしゅつだいさくせん)とは、1998年4月13日から2002年9月23日までテレビ東京系列(TXN)で毎週月曜日21:00 - 21:54(一時期、テレビ東京は20:54 - 21:54、他のTXN系列局は20:59 - 21:54)に放送されていたドキュメンタリー番組・バラエティ番組である。司会はみのもんた。略称・通称は「愛貧(あいびん)」。1996年から1997年にかけて『日曜ビッグスペシャル』での数回の単発放送が好評だったため、1998年4月にレギュラー化された。客足が遠のき、大きな借金を抱える店(おもに飲食店、旅館)の店主に、一念発起してやり直す場を番組が提供。番組スタッフらが店の立て直しの方針や作戦を考え、その道の“達人”(有名店の店主など)の下で店主らに修業をさせ、達人から認められた者には、番組制作費で店舗の外装・内装をリフォーム、名実ともに客を呼び寄せられる店へと仕上げていく。1回だけの例外であるが、勤めていたホテルをリストラされた元料理長の男性が依頼人となり、修業ではなく再就職活動をドキュメントしたり(テレビ東京2002年4月29日放送分)、店を経営をした事が無い依頼人がたこ焼き屋をオープンさせる回(テレビ東京2001年3月26日・4月2日・8月20日放送分)もあった。この番組では「心が豊かな貧乏」の店主を救っており、みのも「心が貧しい貧乏は駄目」という趣旨の発言もしている。「ラーメンの鬼」と言われる佐野実が横浜ラーメンの達人として出演し、佐野を有名にした番組でもある。オープニング映像は『スパイ大作戦』に見立てたもので、司会者のみのもんたが導火線に火をつけるという映像になっていた(BGMも同じ「スパイ大作戦」である)。開始初期と末期でパターンは異なり、末期のオープニングではサングラスをかけたみのが「NEVER GIVE UP」と発していた。ドキュメントを重視したため、シリアスな語り口だった。なお、レギュラー版での募集告知のナレーションはテレビ東京のアナウンサーが担当した。スタジオは、司会のみのと3人のゲスト(男性1名・女性2名)、および一般のスタジオ見学者らで構成。冒頭、依頼人(主に店主の家族)が登場し、番組への出演依頼の手紙を読み上げる。店の現状が紹介され、続いて店主の修業の経過をダイジェストで紹介。その後、店主が達人から学んだ料理を皆で試食する。店主がスタジオの外で調理した料理を運んで来る際、みのがよく言っていた「できた? はい、こっちへいらっしゃい!」や「貧乏脱出したいんでしょ!」それに「お世辞抜き」というセリフは、当時の芸人から物真似のネタにされたほどであった。番組終盤では、店主が家族へ宛てて綴った手紙を自ら読み、みのが店の場所を紹介。中には、元々立地上の不利(最寄り駅と呼べるような駅がないなど)があって売り上げが伸び悩んでいた店舗もあったため、地図に示された店の場所(赤い星印)を「赤い星印があるからすぐに分かります」などと強引にアピールするお約束があった。店主らをスタジオから送り出した後、ゲストとスタジオ見学者らが、店がこの先どうなるかを予想。現状を脱して成功を収めそうならオレンジ色のカードを、まだ心配、あるいは無理だろうと判断したならブルーのカードを掲げてもらい、特にブルーのカードを掲げた人にはどういった点が心配か、みのが意見を聞いていた(開始初期は依頼人登場時と店主らをスタジオから送り出した後で2回行われていた。ただし、末期では行われなくなった)。エンディングでは前回放映された店の「放送翌日(テレビ東京系列と同時ネットする局において)」の模様が当日の売上金額も含めて紹介された。2000年から2001年にかけては泉アキと2名の主婦で構成される「熟女隊」が「放送翌日」の模様をレポートしていた時期があり、テレビ東京で20時台に放送された。基本的には1週完結放送だが、複数人での同時修業企画など(例:3人同時のラーメン修業など)、1週で無理な内容や編集に莫大な時間を要する場合は、何週かに分けての放送も行った。主に達人の店で行われたが、店主の店に移して行うこともあった。また、修業先を店主自身が探したり、海外で行われたり、集団で行われたりしたこともあった。期間は数日から数週間で、料理や接客マナーを基礎からみっちりと学ばせた。ときには坐禅や滝行、さらには陸上自衛隊入隊などの精神修行もあった。修業の厳しさに耐えかねた店主が、達人に暴言を吐くなど反抗的な態度を取ったために修業が中止あるいは中断されることも多かった。その際、番組スタッフに説得された店主が達人に土下座して謝るなど修羅場化していた。複数人での同時修業企画では脱落者を出すことが少なくなかったが、一人での修業でも脱落者が出ている。そのほか、長時間の修業の疲労で店主が体調を崩し、達人や従業員に支えられるという一幕もあった。この番組では、アフターケアとして年に数回、番組で取り上げた店のその後の様子を確認する“抜き打ちチェック”を放送していた。基本的にはレポーター(正確には「貧乏脱出サポーター」。中村有志、佐藤正宏、ミスターちん、笑福亭笑瓶ら。佐藤正宏は「抜き打ちチェック」のことを「後(あと)チェック」とも言っていた。開始初期には通常放送でも修業開始前の店の様子を取り上げる際にレポーターが登場していた)が取材に出向くが、司会のみのもんたが直接、あるいはレポーターと修業を担当した達人が一緒に出向くケースもあった。各店のチェックは原則として1回、放送の約半年から1年後(初回は3か月後)に行われた。チェック前またはチェック後にて、実際にその店を利用した視聴者からテレビ東京へ寄せられた苦情(低評価)または支援(高評価)の手紙が番組内で紹介された。北海道の「らーめんむつみ屋」で3人同時ラーメン修業をした店主らをチェックした回(2000年10月2日放送)では、互いの作るラーメンの味を食べ比べさせてみたところ、3人とも味がバラバラで意見の揉み合いとなり、スタッフらが現場に到着してもまだ揉み合う彼らを、現場に同行したみのが「何を考えてるんだ君らは!!」、「何を考えているんだ!!」、「それでも料理人か!!」などと本気で激怒したこともあった。この場面はその後、BSジャパンの番組宣伝でも1年ほど使われていた。この修業をした3人のうちの1人、神戸市の「T(店の名前)」は、抜き打ちチェックの後に閉店。2010年放送の3時間スペシャルの放送では、Tの店主はカットされ、テロップも「3人同時修業」から「2人同時修業」に差し替えた上で再編集された。ときには抜き打ちチェックらしく、みのや達人が変装して出向いたこともあった。過去の放送で1度、みのが直接取材に行った際、店の入り口玄関で頭をぶつけるハプニングもあった。修業にて脱落者が出た場合、脱落した店主の店は取り上げず、抜き打ちチェックもしないのが通常であった。番組終了後も数回に渡りスペシャル番組が放送されていたが、2004年元日に「元日スペシャル」を放送して以来、2005年度から2008年度にかけてみの自身が平日帯の生ワイド番組を掛け持ちしていた関係もあり、同スペシャル放送から約6年9か月もの間、特別番組としての放送は途絶えていた。2010年10月4日に2004年元日スペシャル以来、約6年9か月ぶりの復活を果たし、これ以後特別番組として、以下のように4度放送されている。2010年10月放送のスペシャルにて、181店舗中39店舗が経営を続けていることが明らかにされている。支店を出すまでの有名店にのし上がった店もあれば、修業で身につけた達人の教えを守らず怠けて元の状態に逆戻りしていた店もあり、実にピンからキリまでであった。レギュラー放送が終了して10年以上経過しているが、福岡県朝倉市の菓子処「K」のように全国的な人気店舗になったり(このため、店舗を移転・拡大した)、茨城県鹿嶋市のラーメン屋「M」のように鹿島アントラーズのホームページに採り上げられたり、茨城県北茨城市の民宿「暁園」のように楽天トラベルの口コミ評価で第一位を獲得し、予約が取れないほどの人気ナンバー1の宿となったり、茨城県桜川市の洋食レストラン「ペンギン」のように行列はおろか、バスツアーまで組まれ、更には同じテレビ東京の『出没!アド街ック天国』にランキングされるような超人気店に伸し上がった店もある(混雑解消のために駐車場も拡張、店舗を増築した)。しかしこの様なケースは少数派で番組によって一時は繁盛したものの結局は元の木阿弥となって閉店したり、店主の一身上の都合や他店との競合により閉店したりしたケースが大勢であり、中には放送後1年以内という短期間で閉店した店もある。家族などの都合も考慮に入れたうえで、店主が一般企業への就職を決意し、閉店に踏み切った例も放送されている。修業で失格になった店主の店は取り上げないのが通常であったが、例外として北海道函館市のラーメン屋「みなみ」がある。この店の店主はラーメン5人同時修業の中で1度修業したものの失格になり、さらに失格後、番組史上例のない問題のを起こしたため、その一報を聞いたみのが後日その店を訪れて店主を呼んで激怒。その後、指摘を受けられた店主は2度修業に参加したが、2回とも失格になったため、番組でその杜撰な経営態度が放送されていた。しかし、約10年後、修業で失格になったにも拘らず、店主が心を入れ替えたのか、自身なりの努力で経営方針を見直した結果、店を改装して意外な常連客が来店したり、以前は嫌っていた子供達にアイスクリームを振舞ったりする等のラーメン屋に至った現状が2010年10月のスペシャルにて放送された。パン職人3人同時修業の修業先である大阪府豊中市の「パン工房青い麦豊中店」(2005年6月に閉店)では、放送後から閉店まで、修業の課題である食パンの「パンドミ」の値札に「テレビ大阪(当該地域における放送局。制作局を正しく表示するとすればテレビ東京)愛の貧乏脱出大作戦で紹介された達人の作るパンです」の表記があった。BSジャパンでは2000年12月から約2年間、これまで放送された中からのピックアップという形で放送された。2000年に番組オリジナルのジッポーライターが販売された。
出典:wikipedia
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