村上 弘明(むらかみ ひろあき、1956年12月22日 - )は、日本の俳優。本名同じ。岩手県陸前高田市広田町出身。オスカープロモーション所属(元オフィス佐々木所属)。身長185cm。体重73kg。血液型A型。スリーサイズはB100・W80・H100cm。宮城県気仙沼高等学校卒業、法政大学法学部政治学科中退。特技は柔道で弐段。妻は元モデルの田島都。子供は4人(二男・二女)いて、(2014年現在)第一子は21歳。気仙沼高校を卒業した後、医学部を目指して浪人中に映画館へ入り浸って3浪した末、法政大学法学部に進学する。ある日、映画好きの友人が勝手に応募した映画『もう頬づえはつかない』のオーディションを受けたことがきっかけで、芸能事務所に籍を置く。1979年、事務所の意向で『仮面ライダー (スカイライダー)』の主演オーディションに応募し、3,786人の候補者から選出され、主人公・筑波洋役でデビュー。この時に大学を中退し、しばらく両親には内緒にしていた。現代劇を中心に活動していたが、1985年の必殺スペシャル第5弾『必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜』以降、必殺シリーズにの花屋(後に鍛冶屋)の政役で出演し、時代劇にも活動の場を広げた。同年、NHK大河ドラマ『春の波涛』を皮切りに、1988年には『武田信玄』で農民から一城の主となる武将高坂昌信、1993年の『炎立つ 第二部』では藤原清衡を主演した。村上が演じていた時期に、光秀の居城である丹波亀山城や首塚(亀岡市宮前町の谷性寺)のあった京都府亀岡市を訪れる観光客が増加したことを、京都新聞が報道した。1999年『元禄繚乱』では柳沢吉保を演じ、2013年の『八重の桜』では松平春嶽を演じ、1992年、藤沢周平の小説『用心棒日月抄』を原作とした金曜時代劇『腕におぼえあり』に主演しシリーズ化され、2005年には近衛十四郎と千葉真一に次ぐ三代目・柳生十兵衛役として、金曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負』に主演し、大層好評だったことから第3シーズンまで制作・放映された。このほかにはテレビ朝日の『八丁堀の七人』、『銭形平次』などに主演した。2009年6月、妻がモデル時代に在籍していた縁もありオスカープロモーションへ移籍。2011年、東日本大震災では、岩手県陸前高田市にある実家が被災した。外出中だった両親は辛うじて九死に一生を得たが、母方の叔父夫婦と従兄弟が亡くなった。実家の建物も半壊し、建て替えを余儀なくされた。2012年5月、NHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』にボーカルとして参加。また地元IBC岩手放送が毎年12月に開催しているIBCラジオ・チャリティー・ミュージックソンにも度々ゲスト出演している。子供の頃は『隠密剣士』が好きで、真似をしておもちゃの刀を振り回すなどしていた。俳優になってからは、『仮面ライダー (スカイライダー)』のメインライターが『隠密剣士』も手掛けた伊上勝であったり、オロナミンのCMで『隠密剣士』の制作会社である宣弘社に携わるなどし、縁を感じたという。映画が好きで、浪人生時代に『風と共に去りぬ』を観たことがきっかけで映画業界を志した。東京の大学を選んだのも映画業界に触れるためであったが、親には教師になると約束していた。大学生時代はよく映画を鑑賞しており、邦画ではATG作品など社会性のある作品を愛好していた。当初は『仮面ライダー (スカイライダー)』のオーディションには乗り気ではなかったが、事務所から新人なのだから勉強のつもりで受けるよう言われて参加した。オーディションではバイクの免許が必須要件となっていたが、オーディションに参加した時点では免許を取得していなかった。バイクの試験になり、無免許で乗ったもののブレーキの掛け方がよく判らなくて飛び降り、石ノ森章太郎らのいる審査員席にバイクが突っ込んだという。村上はこれでダメかと思ったが、審査員はバイクについては撮影しながら少しずつ練習させることとして最終候補の5人にまで残ることができ、カメラテストへと進む。しかし、村上以外の4人は『レッドバロン』で2枚目役としてレギュラーを務めていた加藤寿をはじめ、『恐竜戦隊コセイドン』主演の大西徹也など経験者揃いでカメラテストの結果も素晴らしく、村上以外なら誰でも良しと報告されていたという。撮影初日は緊張で眠れず遅刻した。スカイライダーは空を飛ぶ仮面ライダーであることから、『スーパーマン』を意識したという。当時としてはかなり大柄な部類だったため、用意できる衣装が体に合わず「衣装部泣かせ」と言われた。スカイライダーのスーツアクターを務めた中屋敷哲也は同じ岩手県出身であり、自宅の遠かった村上は撮影所から近かった中屋敷宅によく泊まりに行くなど懇意にしていた。中屋敷の隣には殺陣師の岡田勝も住んでおり、中屋敷宅と岡田宅を行き来することもあったという。中屋敷宅から中屋敷の車で撮影所に向かう際、彼からは「主役を事故にあわせず送り届けなければならないから緊張する」との旨の言葉を受け、村上は番組を背負っている立場を自覚するようになったと述べている。両親には大学を中退していたことを内緒にしていたうえ、「教職を取って田舎に帰る」と言っていたため、『仮面ライダー (スカイライダー)』へ出演していることが近所の人から伝わった際には、故郷に背を向けたという。後年のインタビューでは、作品を振り返り、路線変更した後半よりも、独自色の強かった前半の方が好きであると述べている。後年、『仮面ライダー』での経験は自身のベースになっていると強く意識するようになり、自身の誇りであると述べている。
出典:wikipedia
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