霊仙山(りょうぜんざん、りょうぜんやま)は、滋賀県の犬上郡多賀町と米原市にまたがる鈴鹿山脈の最北に位置する標高1,094 mの山。山の東山腹は岐阜県大垣市上石津町と不破郡関ケ原町に属する。北側には伊吹山が対峙していている。『花の百名山』として花の多い山であることが知られていて、シーズン中は多くの登山者が訪れる。正式な読みは「りょうぜんざん」であるが、「りょうぜんやま」と読まれたり、「霊仙」と略称されることも多い。近江国坂田郡(現・米原市)を根拠地とする地方豪族・息長氏の出身とも伝えられる平安時代前期の法相宗の僧であり、日本で唯一の三蔵法師である霊仙を、名祖(なおや)とする。「霊仙三蔵堂」が麓の醒井養鱒場の脇に建立されている。明治以前には「霊山」と呼ばれていて、祖先の霊が籠る山であることが山名の由来であるとする説もある。奈良時代に山頂に「霊仙寺」が建立されたと伝えられているが、現在はその痕跡は見られない。榑ヶ畑コースの登山口付近には、第二次世界大戦には約50戸、160人の榑ヶ畑集落があったが、1957年(昭和32年)に廃村となった。現在は緩やかな山の斜面に民家の石垣が残され、ユキノシタが見られる。経塚山(北霊仙山)に役小角の修行所があり、宣教大師が山麓に7つの寺院を建立したと伝えられていて、松尾寺がその一つである。山体は石灰岩からなり、なだらかな山の上部にはカレンフェルトやドリーネなどのカルスト地形が見られ、「近江カルスト」の一角をなしている。山頂部には窪みが多数あり、「お虎ヶ池」はドリーネにたまった池とみられている。南西の山麓には河内風穴の鍾乳洞がある。多賀町の北東部に位置している山頂からは近江盆地と琵琶湖が一望できる。スキー場などの大規模開発がほとんど行われていないため、豊かな自然が残っている。比較的登りやすいなだらかな山であり、登山道も整備されているため、登山初心者を始め登山客に人気が高い。山頂部にあるお虎ヶ池には霊仙神社がある。冬には、日本海側の若狭湾方面からの季節風の影響を受け雪雲が流れ込み易く、山頂部は1 mを越える積雪となることが多い。山中には、アズマヒキガエル、ニホンジカ、ニホンリス、アカゲラ、イヌワシなどが生息している。夏場や湿度の高い時期にはヤマビルが多い地域であるため、事前の情報収集やヒル対策が必要である。登山道では花を吸蜜するウスバシロチョウ、キアゲハ、スジグロシロチョウなどが見られる。山頂直下にある「お虎ヶ池」では、アキアカネやオニヤンマが見られる。山頂部にはカエデ属のオオイタヤメイゲツ、クマザサやススキなどが分布している。中腹下部では炭焼きに利用されていたブナなどの広葉樹林の二次林があり、下部一帯はスギの植林地となっている。田中澄江により『花の百名山』に選定されていて、その著書で代表する花として「ヒロハノアマナ」が紹介された。春には石灰岩質の西南尾根にフクジュソウ(福寿草)の群落やニリンソウ、ベンケイソウ科のヒメレンゲ、ヤマシャクヤクなどが見られ、夏から秋には山頂一帯にイブキアザミ、イブキトラノオ、トリカブトやリュウノウギク、リンドウなどが咲き。山頂部直下北側にあるお虎ヶ池ではヒルムシロが見られる。登山道の周辺では、春から初夏にかけてアカモノ、イチリンソウ、エビネ、キツリフネ、サワギク、スミレ、チゴユリ、バイケイソウ、ハシリドコロ、ヒトリシズカ、ヒロハノアマナ、フウロソウ属のヒメフウロ、ホウチャクソウ、ミスミソウなどの花も見られる。登山家の内田嘉弘は1957年に霊仙山へ登ったことがきっかけとなり、その道に進んだ。花の百名山、ぎふ百山、関西百名山に選定されている。各方面からの以下の登山道がある。登山道は地元の住入らにより整備されている。山頂部は高い樹木が生育できず、石灰岩が点在し360度の良好な展望がある。榑ヶ畑コースが最短のコースで、よく利用されている。他にバリエーションルートがある。登山道にある山小屋を下表に示す。「かなや」のみが有人の小屋でキャンプ場が併設されていて、他は無人の避難小屋である。山小屋かなやの横には、大阪府立今宮工科高等学校の私有の山小屋がある。鈴鹿山脈の最北端に位置し、その北側が近江盆地と濃尾平野の分水嶺となっている。その北側には伊吹山地があり、伊吹山が対峙している。最高点の北側のピークは「経塚山」(北霊仙山、標高1,040 m)と呼ばれている。最高点から北西約400 mには二等三角点があるピークがある。以下の源流となる河川は、琵琶湖及び伊勢湾へ流れる。
出典:wikipedia
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