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郡元 (鹿児島市)

郡元(こおりもと Kōrimoto)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在郡元村、鹿児島郡中郡宇村大字郡元の一部。郡元一丁目から郡元三丁目及び、郡元町があり、全域で住居表示を実施している。郵便番号は郡元一丁目から郡元三丁目は890-0065、郡元町は890-0064。人口は5,731人、世帯数は3,292世帯(2011年4月1日現在)。鹿児島市の中部、新川の下流域に位置している。町域の北方には上荒田町及び鴨池、南方には南郡元町、西方には唐湊、紫原、東方には真砂町及び真砂本町にそれぞれ接している。町域の南部を鹿児島県道20号鹿児島加世田線が南北に通っており、県道上を鹿児島市電谷山線が通っている。また、鴨池にある郡元電停から鹿児島市電唐湊線が分岐しており、町域内には涙橋電停(谷山線)、唐湊電停、工学部前電停、純心学園前電停、中郡電停(唐湊線)が設置されている。東端には国道225号が南北に通り、西端には指宿枕崎線が南北に通っている。町域の中央部には鹿児島市立中郡小学校があり、北部には鹿児島大学郡元キャンパス、鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島大学教育学部附属中学校などの鹿児島大学に関係する施設が多く所在している。郡元という地名は古くは南北朝期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。文和3年の一色範氏宛行状には「薩摩国鹿児島郡々司職、同郡内中村、郡本、田上村」と見え、島津貞久に宛行われていた。室町期には島津元久が地内の「水田名所小坂本一町」を福昌寺に寄進しており、その後当地と中村が島津忠国によって町田飛騨に宛行われている。また寛正6年の鹿児島諏訪社祭次第では1番目に当地が見えている。鎌倉期の「薩摩国図田帳」には「府領社二ヵ所二十五町五段内」として「郡本社七町五段 麑嶋郡内地頭右衛門兵衛尉」とあり、大宰府領の郡本社の存在が知られており、当地と関係すると考えられている。江戸期には、鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、村高は「天保郷帳」では576石余、「旧高旧領」では688石余であった。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうちの郡元村、宇宿村及び中村(のちの鴨池)の区域より中郡宇村が成立し、江戸期の郡元村は中郡宇村の大字「郡元」となった。また、中郡宇村の村役場が現在の一之宮神社付近に設置された。1934年(昭和9年)には中郡宇村が鹿児島市に編入され、大字郡元は鹿児島市の町名「郡元町」となった(この際中の一部を編入)。郡元町の一部が1950年(昭和25年)に真砂町、1969年(昭和44年)に三和町及び真砂本町、1970年(昭和45年)には各一部が南新町、日之出町、紫原一丁目から紫原七丁目の一部、1973年(昭和48年)には宇宿一丁目、新栄町、南郡元町、東郡元町を新設。1974年(昭和49年)には郡元一丁目、郡元二丁目、郡元三丁目を設置。1976年(昭和51年)には郡元町の一部が鴨池新町に分割された。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

出典:wikipedia

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