遠鉄バス(えんてつバス)とは、遠州鉄道(遠鉄)が浜松市を中心として、主に静岡県遠州地区で運営しているバス事業の通称をいう。様々な施策を試行錯誤して取り入れるのが特徴的で、早期の初乗り100円の導入、アイドリングストップ時の音楽再生など、様々な施策を行っている。一般路線バスは、現在は浜松市・湖西市・磐田市・袋井市を中心に運行。ごくわずかに森町や掛川市へも乗り入れる。2004年2月までは、鳳来寺線が愛知県南設楽郡鳳来町(当時)へも乗り入れていたが、同年2月29日いっぱいで鳳来町へ移管、現在は新城市営バスとなっている。デイライト運動は行っていない。ただし、狭隘な通学路などでは常時点灯を実施している箇所もある。遠鉄では、日中や夕刻、早朝などに点灯させる際にはヘッドライトを使用せず、フォグランプと車幅灯のみを点灯させることが一般的となっている。また、ヘッドライト使用時もフォグランプと車幅灯を併用し、信号待ちなどの際にはヘッドライトのみを消灯させ左記2灯のみを点灯させておくことが多い。「オムニバス」などと表記された社名表示灯は、車種により点灯することが出来るものと出来ないものがあるが、点灯できる車輛でも点灯させるかどうかは乗務員の判断による。"鉄道事業など他事業の沿革は遠州鉄道及び遠州鉄道鉄道線を、バス車輛の沿革については#車両の沿革参照のこと。"遠鉄バスの営業エリアにおいて、初めて乗合自動車の運行が行なわれたのは、1918年に浜松自動車が浜松と二俣(現在の遠州鉄道鉄道線に引き継がれ、現在の浜松の市内交通の嚆矢)、森と袋井を結ぶ路線を運行開始したのが始まりである。翌1919年に湖西自動車が鷲津と三ヶ日を結ぶ路線を運行開始、1920年には本多一明が浜松から掛塚を経由して磐田に至る路線を開設したほか、万歳自動車が浜松自動車の路線の引継ぎや気賀・弁天島方面への路線を開設した。浜松自動車はこの時に廃業している。1921年には坂下自動車商会が浜松と宇布見を結ぶ路線の営業を開始しており、これらが遠鉄バスのルーツとなる路線といえる。1923年から1929年までにかけては小規模なバス事業者が乱立したが、路線が競合することも多くなったことから、各社間協議の上統合の方向に進むことになる。1929年に笠井自動車(1923年創業)・万歳自動車・遠州自動車(1924年創業)・坂下自動車の4社が合併して浜松自動車(1920年に廃業した浜松自動車とは別)が成立し、車体の色も銀色に揃えたことから「銀バス」とも呼ばれた。今日でも遠鉄バスのベースカラーは銀色であるが、この時からはじまったものといえる。1933年には、掛塚自動車(1924年創業)が寺田自動車商会(1924年創業)とキング自動車(1924年創業)を買収したほか、静岡電気鉄道からも一部の路線を譲り受けて規模を拡大した。また、1931年には遠州自動車商会と秋葉自動車商会が合併し、遠州秋葉自動車として設立されたが、同社は1937年に高木安治が運行していた水窪線・佐久間線を買収し、北遠地区全域に路線網を拡大した。一方、1907年には浜松鉄道が発足し、同社の路線は1919年に遠州電気鉄道に事業継承されているが、この地域に発達したバス路線網と鉄道線の競合が激しくなった。自社鉄道線の防衛のため、1927年に遠州電気鉄道もバス事業に参入した。遠州電気鉄道は周辺バス事業者の買収や資本参加などで次第に営業エリアを拡大していった。また、同時期に軽便鉄道路線を運行していた浜松電気鉄道も、競合していた秋葉自動車運輸と合併することでバス事業に参入した。他方、浜松市内では、大正時代から市営による乗合バスの運行計画が何度か立案されていたが、財政事情や社会情勢から見送られていた。1936年、浜松市では浜松循環自動車と中田島自動車を買収し、5路線で市営バスの運行を開始している。日中戦争の勃発によりガソリンの供給規制が行なわれると、不要不急の路線は廃止され、工場や勤労奉仕者の輸送に重点が置かれるようになった。1942年には戦時統合の運輸省通牒により、静岡県内を3ブロックに分割した上で統合するように指針が示された。これを受けて各社間で調整が行なわれ、6社の合併と4社の営業譲渡により新会社を設立することとなり、1943年に遠州鉄道が発足したのである。第二次世界大戦が終戦を迎えたが、浜松市周辺には軍需工場などが多く立地していたことから、浜松市は空襲によって大きな被害を受けていた。バス車両も空襲で焼失・破壊されたものが多く、終戦時点の遠鉄バスの稼動車は50台、市営バスに至ってはわずか6台が残ったのみであった。稼動車両をかき集めて復旧に努めたが、復興が軌道に乗るまでには期間を要した。この間、国鉄バスから水窪線の譲渡要請があり、当初遠鉄は反対の立場をとったものの、復興の見通しがまだ不明瞭だったことに加え、「早期に路線運行が再開されるのみならず、将来は鉄道が開通する」と解釈した地元自治体が国鉄バス運行に賛成の立場をとったため、今後遠鉄バスのエリアに国鉄バスの路線計画を行なわないことなどを条件に、1946年に水窪線を譲渡した。1947年以降は復興も本格化し、1950年にはほぼ全路線の復旧が終了した。1952年にはガソリン統制が解除されたことに伴い代用燃料車両を全廃、1959年には全車両がディーゼルバスに置き換えられた。1955年からは「安全・迅速・快適」をスローガンとして掲げ、ほぼ全路線で増便を行い、「待たずに乗れる遠鉄バス」という基盤を作った。1958年には遠鉄浜松駅乗り入れが実現し、1959年からは幹線ダイヤのパターンダイヤ化が行なわれた他、長距離路線や急行便の設定、さらには日祝日ダイヤの導入による合理化が行なわれるなど、今日に至るまで続く遠鉄バスの事業基盤を形成している。1958年には佐久間ダム完成に伴い、浜松から佐久間へ直通する急行便の運行を開始したほか、1959年には浜松定期観光バスの運行を開始するなど、観光需要の増加に対応する施策が目立った。また、国鉄バスとの運輸協定により浜松と豊橋を結ぶ直通便の運行が開始されたほか、1963年には静岡と浜松を結ぶ急行バス「(国道)静岡浜松線」の運行が静岡鉄道(当時)・大井川鉄道(当時)との相互乗り入れにより開始された。同年には、観光バス需要に対応すべく、浜松観光営業所を開設している。また、1964年に東海道新幹線が開業すると浜名湖と舘山寺温泉への観光客が増加したため、舘山寺温泉を起点とした定期観光バスの運行も行なわれた。この他、1966年には名古屋鉄道(当時)や豊橋鉄道(当時)と協定を結び、浜松-岡崎線を開設、愛知県へも路線を延ばした。なお、1962年に開業した浜名湖観光自動車は経営者の急逝により実質的な経営権が遠鉄に移ったため、1969年に効率化のため浜松観光自動車(傍系として1954年に設立)と合併している。1969年には、東名高速道路が開通したことに伴い、東名急行バスに資本参加したほか、静岡浜松線を高速道路経由に変更し、名称も東名浜松静岡線となった。また、名古屋鉄道(当時)と協定を結び、浜松-岡崎線を高速道路経由にした上で名古屋まで延長し、東名名古屋線として運行を開始した。同年には遠鉄グループのシンボルマークとして子鹿の「バンビ」が制定され、自社で募集する会員制ツアーも「バンビツアー」と命名され、積極的な営業を展開したほか、1970年には名古屋にも貸切バス営業所を開設し、観光バスの営業エリアを愛知県内全域にも拡大した。しかし、この頃からモータリゼーションの進展に伴い、利用者数が伸び悩み傾向となったため、路線網の見直しが図られた。高需要路線についてはきめ細かいダイヤを設定することで利便性を拡大する一方で、不採算路線の整理が進められた。また、浜松市内の渋滞に対応して長距離の路線については浜松駅で系統分割を行なって対応した。また、都市間路線も乗客が減少したために、佐久間線が1971年に、東名名古屋線が1975年に廃止されている。この他、1971年には電車とバスの連絡定期券を販売開始し、利用促進を図っている。この連絡定期券は、当初は乗継割引がなかったが、1979年12月に乗継割引が設定され値下げしている。また、1978年には奥山線の一部でデマンドバスの運行を開始した、合理化と車掌不足の解消を一挙に行なう方策として、1966年5月から浜松市内の浅田循環線・助信線においてワンマンバスの運行を開始した。当初は全区間均一運賃の路線のみ実施であったが、1968年からは多区間制運賃路線でも整理券方式によるワンマンバスの運行を開始、1975年までには全路線のワンマン化が終了した。ワンマン化の過程では、1970年頃に前中引戸や前後扉という配置の車両も試験的に導入されたことがある。また、1970年からは一部の車両で冷房車の導入が開始され、1987年までには全車両が冷房車となった。なお、1974年には系統番号が導入されているが、1981年にはカラー方向幕の採用と同時に方面別に再編成している。1980年代に入ると、バス業界では先駆とも呼べるサービスを次々と展開するようになった。1984年からは"山間部の路線において"フリー乗降制度を導入した。また、通学路線では学校に直行する「モーニングダイレクト」も新設された。モーニングダイレクトは1986年度に運行を増加させた上で方面別に愛称を設定している。この他、西じゅんかんと掛塚さなる台線を皮切りに1986年4月1日以降順次バスロケーションシステムの導入した。浜松市のバックアップもあり、1975年には静岡県では初めてのバス優先レーンが導入されているほか、1978年にはバス優先信号も設置されている。また、1982年には浜松駅バスターミナルが完成している。なお、1986年にはバスレーンが拡大され、同年5月には浜松市がバス路線総合整備モデル事業実施都市に指定されている。このような状況下、1936年から浜松市交通部により運行されていた市営バスは慢性的な赤字が続いていたが、1983年に市営交通対策協議会が設置され、民間移管が最善の方法であるとの結論を打ち出した。これを受けて、段階的に市営バスから遠鉄バスへの移管が行なわれ、1986年11月30日限りで市営バスは運行を終了した。浜松市内のバス路線が一元化されたことを受け、遠州鉄道・浜松市役所・市民の3者で浜松の交通に関する協議会「浜松市バス交通対策調整協議会」が発足し、浜松の交通に関して3者でともに協議していくこととなった。それ以降、"夜間のみ住宅地で"フリー降車制度を導入したり、雨天時のみ増発便を運行する「レイニーバス」の運行を開始したりするなど、遠鉄バスではさらに積極的に新施策を導入していくことになり、1987年10月の磐田山の手線、大塚萩丘線、中田島住吉じゅんかん、鶴見富塚じゅんかん、さぎの宮線、都田線への都市新バスシステムの導入、1992年2月の磁気プリペイドカード「ETカード」の導入、1997年夏以降の長期休暇小人1乗車50円、1997年10月の超低床ノンステップバス導入などの各種施策も積極的に行なわれた。コミュニティバスは1997年10月に運行を開始した豊田町(当時)から委託された「ユーバス」を皮切りに各地区で運行されている。1997年12月にはバス路線総合整備モデル事業実施都市や浜松市バス交通対策調整協議会などの功績を受け浜松市が日本初のオムニバスタウンとして指定されたことを受け、バスを活用した街づくりを進めることになった。これ以後の遠鉄バスの導入車両は基本的にはアイドリングストップ装置付超低床ノンステップバス(遠州鉄道では超低床オムニバスまたは単にオムニバスと呼称)となり、従来車も含めた全車内には案内表示装置にて情報発信も行い、バス停留所もコミュニティ情報板を設置するなどの施策を行なった。またこの頃よりさらなるエコドライブ運動(経済運転)の強化を行い、現在の経済運転につながっている。一方で、山間部の路線では路線そのものの維持のため、行政主導によるバス運行なども行なわれているが、これらの運行を受託したり、1999年には退職乗務員の受け皿もかねて車両運行管理請負を行なう子会社「遠鉄アシスト」の設立も行なわれるなど、「地域の人が移動することに関しては遠鉄グループが必ず関わる」という体制をとるようになった。なお、2002年10月にはかつて遠鉄バスの水窪線だった国鉄バス天竜線が再び遠鉄による運行となり遠鉄バス北遠本線になっている。オムニバスタウン指定を受け、遠鉄と浜松市ではさらなる利便性向上に力を入れた。1998年3月にはオムニバスタウン指定記念シンポジウムを開催とPTPSの導入が、7月には初乗りの150円から100円への値下げが、11月には乗り降りらくらくバス普及セミナーが、それぞれ実施されている。1999年2月には全線定期のワイドフリー定期券販売開始と運賃区界の増設、3月の環境セミナー開催、4月には浜松市商店会連盟の制度加盟店で買い物をすると100円補助券が貰えるお買物乗車券制度導入、6月の"浜松駅・磐田駅を20時以降に発車する一部路線の下り便での住宅地での"フリー降車制度導入、10月の上限運賃630円設定、2000年には9月のシルバーワイドフリー定期券販売開始、9月以降毎年敬老の日から1週間の高齢者1乗車100円運賃の導入、10月のインターネットバスロケの導入など、各種施策が展開された。また、1999年3月15日〜28日には鍛冶町通りにて一般車の乗り入れを規制するトランジットモールの実証実験を全国で初めて実施した。21世紀に入っても積極的な施策は引き続き行われている。2001年4月の中距離運賃値下げを皮切りに、2002年からのICカード「EG1CARD」の試験導入、そして2004年のICカード「ナイスパス」の本格導入が行われた他、最終バスの延長ならびにウィークエンドライナーやふゆほた臨時便などの臨時最終便の運行が開始された。2006年にはミニバスターミナル構想に基づき浜松市と共同で「すいすい・くるーり」バス実証実験が行われた。また、2002年4月からは通学ウィークデー定期(平日定期)の販売が開始開始されている他、シンポジウムとしては2002年11月の「オムニバスタウンサミット」、2003年9月の「バスがやさしい、心のユニバーサルデザインの日」が開催されている。また、2005年には中部国際空港の開港に合わせて空港リムジンバスに参入。e-wingという愛称で、現在も運行中である。2008年のリーマン・ショックは浜松都市圏に大きな影響を与えた。そのため遠鉄バスにおいては一部路線で利用者が減少し減便がなされた。しかし減便はバス離れを起こすとして再度増回した。この頃になるとツーステップ車が減り超低床バスが主流となる。しかしながらツーステップ車と比べ超低床バスは収容力が低いため2009年には長尺ワンステップバスの導入を開始。また不況のため特殊な車両などを除き使用年数が若干伸びている。そのため本来2012年にはツーステップ車が全廃する見込みであったが2014年現在まだ残存している。これと前後して不況のため2007年に富塚車庫、2009年に舘山寺営業所と浜松南営業所の窓口が終了したが、いずれも2010年に窓口営業を再開した。しかしその後浜松南営業所は再び営業を終了し、浜松東営業所もリブロス笠井内の遠鉄トラベルに業務を移譲する形で営業終了している。空港リムジンバス以外の高速バスを運行していなかった遠鉄であるが、2010年には長距離都市間高速バスに参入。愛称はe-LineRである。e-LineRは当初浜松横浜線を単独運行で開設、その後2011年に京王バス東・ジェイアール東海バスの渋谷・新宿ライナー浜松号に渋谷・新宿イーライナーの愛称で共同運行の形で参入、更に西日本ジェイアールバスと共同運行で大阪イーライナーも開設されている。その一方で、2011年度よりe-wingは浜松観光バスとの共同運行となっていたが、同社は2015年1月1日付で遠州鉄道本体へ合併している。この他、2009年頃より啓蒙活動として市民やファンに向けたイベントが行われるようになっている他、2010年代になるとトップタッチを活用したナイスパスキャンペーンが活発化している。郊外から浜松駅を経由せずに学校へ直通する通学向け路線である。1975年から1985年までの間に、通学でのバス利用が半減したため、その対策として乗り換えなしの通学バス路線を設定したものである。運行開始後に新系統の要望があり、特に私立高校では、モーニングダイレクトの存在が生徒の誘致にも影響すると判断されたことから、順次系統拡大を行った。貸切タイプの車両で運行される系統と、路線タイプの車両で運行される系統がある。西遠学園・浜松修学舎へ向かう路線が「Avenue(アヴェニュー)」、浜松市立高校・海の星高校・浜松西高校へ向かう路線は「Chapel(チャペル)」という愛称が設定されており、実際に運行される路線では、これに方角をつけている。例えば、気賀・三方原から西遠学園に向かう路線であれば、北方面からの路線となるため「N.Avenue(ノース・アヴェニュー)」という愛称になる。ただし、舘山寺から浜松南高校行きに限っては「Flolal Mate(フローラル・メイト)」という愛称が設定されている。学校や生徒・保護者からも好評のため、その後磐田地区でもモーニングダイレクトを導入、こちらは磐田南高校・磐田東高校へ向かう系統には「E.Liner(イースト・ライナー)」、磐田南高校・磐田北高校へ向かう系統では「N.Liner(ノース・ライナー)」という愛称が設定されている。いずれも朝の片道のみの設定で、帰路については浜松駅・磐田駅でバス路線を乗り継ぐことになるが、定期運賃は直通経路経由の通し運賃で計算される。前日の17時時点で運行当日6〜12時の降水確率が50%以上の場合に運行される雨天臨時便である。なお、開校日のみの運行であり、閉校日は運行しない。なお、2006年頃まではフリーダイヤルにより運行有無を確認できるサービスがあったが、現在は廃止されており、バス車内のレイニーバス広告の電話番号欄も地の色と同じ青地のシールで隠されている。現在では、仙台市交通局など、全国のバス事業者に徐々に波及している。浜松市北区三ヶ日町から東名高速道路を経由して浜松市中区を結ぶ座席定員制の通勤通学路線で、朝、北区三ヶ日町から中区へ向かい、夕方に中区から北区三ヶ日町へ戻る設定。クローズドドアシステムを採用しており、それぞれ中区内相互間や北区三ヶ日町内相互間の利用は出来ない。もともとは定期観光バスの回送を客扱いしたものが始まりである。以前はシートベルトを装備した一般路線車#高速仕様の路線車での運行であったが、e-wing運行開始後は細江営業所からの送り込みを兼ねてe-wing車で運行されている。なお現在でもごく稀に前述の一般路線車で運行されることがある。詳細は遠州鉄道細江営業所#気賀三ヶ日線を参照。ET-Naviを参照。1987年10月に磐田山の手線、大塚萩丘線、中田島住吉じゅんかん、鶴見富塚じゅんかん、さぎの宮線、都田線へ導入。都市新バスシステム#遠州鉄道を参照。遠州鉄道では全国的にも早くからエコドライブ運動を行っており、経済運転(けいざいうんてん)と称している。晴天時の昼間の車内灯を消灯、アクセルを深く踏み込まない、エンジンブレーキの活用、正面赤信号などでの早目のアクセルオフ、高速ギアの有効活用、暖気運転は年間通して3分以内などが挙げられる。なお、過剰なトルクが出ないよう、燃料噴射を絞っている車両もある。また、回転数については会社全体の方針として大型車1600回転、中小型車1800回転以下でのシフトアップ、そして営業所毎に1200回転以下や1300回転以下などでシフトアップする様指導しており、会社全体として昇り坂などであっても大型車1800回転、中型車2000回転、小型車2200回転を絶対に超えてはならないこととなっている。そのため三菱ふそう製の車輛を中心に、1800回転を超えるとブザーが鳴りつづけるようになっている車輛が多い。なお、車両によっては1500回転など1800回転未満でもブザーが鳴るよう設定されていることもある。この他、信号待ちなどの際に、アイドリングストップ装置非搭載の車輛でもアイドリングストップを実施していることが特筆できる。また、装置の有無にかかわらずアイドリングストップ時には全車輛で音楽を流すことによりアイドリングストップ時の静寂を防いでいる。バッテリー(蓄電池)の電圧低下時(バッテリーあがり)やDPFの作動時等には信号待ちでのアイドリングストップを行わないことがあるが、浜松駅バスターミナルではいかなる場合もエンジンストップすることとなっている。また、全車両とも蓄電池の電圧低下を示す警報灯が運転席左(運賃箱奥)に設置されている。これらにより、遠鉄バスでは営業所間の燃費順位を競っており、また乗務員毎の燃費の成績もついている。さらに各営業所の燃費のいい乗務員が集まり燃費対策会議が行われている。なお、現代の信号待ちでのアイドリングストップ運動が盛んになる前から、戦後には既にバスターミナルなどの起終点や営業所・車庫ではエンジンストップを行っていた。音楽を流すシステムは自社で開発した。音声合成装置を利用して流している。音楽は50曲をもゆうに上回り、ジャンルもクラシックから洋楽、アニメ音楽など多岐にわたる。代表例としては、などがあげられる。全曲MIDI調にアレンジされており、1曲あたりおおむね1〜1分30秒程度、決まった場所でフェードアウト(短い曲の場合は演奏完了)して次の曲へ進む。2014年からは全営業所全車において遠鉄グループソング「街と生きる」(村松崇継氏作曲)が後述するパターンのローテーションとは関係なく年中流れている。この曲に限っては約3分30秒のフルコーラスが流れる。現在は全曲が流れる訳ではなく営業所ごとにパターンがローテーションしており、その中からランダムで流れる。12月に関しては、通常のパターンの音楽に加えて全ての営業所でクリスマスソングがランダムにて流れる。これは、アイドリングストップ装置の装備有無に関わらずHEV車輛(廃車済)の398・399号車を除く全ての車輛で流れる。ただし次のバス停が終点の場合や路線データの入っていないシャトルバスの場合・アイドリングストップ装置搭載車に於いて手動でエンジンキーを回しアイドリングストップした場合(一部車両を除く)は流れない。なお、降車ボタンの放送以外の音声合成による放送が流れている際は音楽は流れないが、肉声放送や音声合成による降車ボタンの放送が流れている場合は音楽が流れる。逆に、音楽が流れている最中に降車ボタンの放送以外の音声合成による放送を流した場合、即座に放送が流れ、音楽は止まる。音楽が流れている最中に降車ボタンを押した場合、次の音楽へ切り替わる際、もしくはエンジンを始動して音楽が止まった際に放送が流れる。なお、エンジン始動や放送等により音楽が途切れた場合、次に流れる際はその曲の続きからではなく次の曲の頭からとなる。この場合の再生順はランダムであり、同じ曲が連続で流れることもある。また一度のアイドリングストップ中に2曲目以降が流れる場合の再生順は決まっており、連続で流れることはない。なお、アイドリングストップの最中には音声合成装置の設定器の一番下の行の右側に当該乗務でのアイドリングストップの累計回数と累計時間が表示されている。エンジン稼働中は、コース番号ごとの設定番号とその中での順序、運用が予約されたシャトル運用の場合は「予約xx」が表示され、コース番号は表示されない。また、最下行の一番左は直前バス停発車時の定刻からのズレ(分)が表示される。例えば、15:53のバス停を15:52に通過した場合「01分」、09:33分発のバス停を09:45に発車した場合「12分」と表示される。なお、ダイヤのデータが入っていなく運用がセットされたシャトル運用の場合・手動で系統入力した場合はダイヤのデータが入っていないため、現在時刻が「06:45」のように表示される。これは、アイドリングストップの際に乗務員や客から「しらけてしまう」や「故障したのでは」などという意見があったため行われる様になったもので、1997年10月に試験的に小鳥のさえずりを流し始めたのが前身である。この試みは名古屋市交通局(現在休止)や旭川電気軌道、三重交通、北陸鉄道、しずてつジャストライン等の他社にも普及し始めているが、曲パターンは遠鉄と異なりいずれもクラシックまたはオリジナルメロディのみで3〜5曲程度しか存在せず、パターンのローテーションも見られない。遠州鉄道#特徴的な施策を参照。浜松市と共同で、1999年3月15日〜3月28日に鍛治町通りをトランジットモールとする実証実験を行った。当時6車線だった鍛治町通りを外側2車線ずつテラスなどの設置を行い、内側2車線をバス専用道として整備した。しかし実施に当たって静岡県警察との交渉が長引くなどした結果、PR不足や短い実施期間などが災いし、あまり効果がなくその後は実施されていない。バス停飛ばし#具体例も参照。当初、デマンド運行として運行。40気賀三ヶ日線の気賀駅前→東急リゾート〜三ヶ日簡保センター(現:かんぽの宿浜名湖三ヶ日)・同 三ヶ日車庫→三ヶ日駅入口〜浜名湖レークサイドプラザ・同 浜名湖レークサイドプラザ→ぬえしろ〜三ヶ日駅入口→三ヶ日車庫・37大久保線の田端住宅〜山崎・30舘山寺線の動物園→大草荘〜国民宿舎・同 村櫛→浜名湖ガーデンパークなどが対象。浜名湖レークサイドプラザ発を除き当該区間は降車専用(クローズドドアシステム)を採用し、同区間の手前(主に車庫・営業所又はそこへの短絡ルートが有る)にて乗客が居ない場合、運行を打ち切っていた。浜名湖レークサイドプラザ発は、発車時刻の15分前までに浜名湖レークサイドプラザのフロントにて要予約で、ぬえしろ・三ヶ日駅入口が降車専用、三ヶ日車庫からは通常路線であった(予約が無い場合当バス停が始発となる)。2006年には当該路線の降車専用区間について、乗客が居ない場合に運行を行っていなかったことが問題となる。本来は法令違反であるが、降車専用だったため行政処分はなされなかった。その後は、延長運行と名を変え合法的に運行されている。37大久保線や40の浜名湖レークサイドプラザ発上りの様に延長運行を取りやめ通常路線として全便乗客の有無に関わらず運行する様になった例もあれば、延長運行になった例もある。また、浜名湖立体花博期間中の30舘山寺線の舘山寺営業所→中開駐車場の様に延長運行になってから新設された例もある。現在の延長運行というシステムは、1ヶ月間運行打ち切りの実施・不実施を記録し、集計・走行距離を計算する。デマンドバスの一種である。現在延長運行を行っている路線としては、40気賀三ヶ日線の三ヶ日車庫→浜名湖レークサイドプラザ(三ヶ日駅入口・ぬえしろバス停は廃止)・30舘山寺線の村櫛→浜名湖ガーデンパークなどがある。国民宿舎ゆきに関しては、動物園→大草荘〜国民宿舎から(動物園・舘山寺温泉経由)銀行前→国民宿舎に経路を変更したのち、国民宿舎浜名湖かんざんじ荘(現:湖上百景浜名湖かんざんじ荘)の遠鉄への譲渡に際し2007年3月31日の運行を以ってかんざんじ(浜名湖パルパル)⇔大草山(浜名湖オルゴールミュージアム)を結ぶかんざんじロープウェイを代替路線として系統自体廃止された。なお、この延長運行というシステムは同社の運行する高速バスでも一部採用されている。浜松市と共同で、2006年10月2日から12月29日までの平日に実施したコミュニティバスの実証実験で、期間内に以下の3路線が運行された。開校日の平日は三方原営業所だが、長期休みの間は細江営業所に委託される。三方原の車両には「追分すいすい」の幕があるため幕式が来るが。細江の車両には幕がないのでLED式で運用される。2006年から募集型企画旅行として、東京など各地への直行型ツアーバスを催行している。ツアーバスでは、企画実施する旅行会社が観光バス会社から車両を借り上げる形態が多いが、遠州鉄道では以前から本体で国内旅行事業を営んでおり、浜松観光バスを含めてグループ内での完全自社運営を実現している(路線バス事業者の子会社が旅行事業を行っているケースも多い)。このうち2007年夏期から実施している東京方面へのツアーでは片道だけの利用も可能な上、自社の既存の企画旅行客用の駐車場を開放することなどで既存の路線バスとの差別化を図っている。詳細は遠鉄観光を参照のこと。遠州鉄道では、主要路線の下り(浜松駅発)に於いて、毎週金曜日・土曜日に、「ウィークエンドライナー」という最終便を運行している。これは、通常の最終便より10〜30分程度後に運行されるもので、22時45分〜23時25分に各路線が1便ずつ運行される。一番遅いのが、30舘山寺線・40気賀三ヶ日線の23時25分発であり、この2路線は当該便の20分前の23時05分に通常の最終便が出発する。なお、一部は貸切タイプの車輛にて運行されるものもある。さらに、12月の金曜日・土曜日にはウィークエンドライナーが運行されていない路線の中の主要路線は通常最終便の後に、ウィークエンドライナー運行便はウィークエンドライナーの後にもう1便増発する。こちらは、はままつ冬の蛍フェスタ(愛称:ふゆほた)をとって「ふゆほた号」と名づけられていたが、イベントの名称変更にともない現在では愛称無しの終車延長とされている。ふゆほた号はミッドナイトトレインとして遠鉄電車西鹿島線でも運行されるほか、当該便を含む全てのバス・電車車内にて音声合成による広告が流れる。こちらは、主に22:45又は23:05に運行する。23:05にウィークエンドライナーがある路線は20志都呂宇布見線を除き23:25に運行される。20志都呂宇布見線はウィークエンドライナーを23:25に繰り下げて運行する。ふゆほた号の最も遅いものは、20志都呂宇布見線・30舘山寺線・気賀三ヶ日線の24:00発である。また2010年には試験的に気賀三ヶ日線は試験的に浜松駅(23:55発) 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葵町ノンストップの急行便が運行された。なお、2000年代前半までは電車とともにふゆほた号として装飾された車両が昼夜問わず季節限定で運行されていた。これらは、深夜バスに値するが、他事業者と相違がある点を中心に特徴を述べる。貸切の営業所は遠鉄観光を参照。※旧営業所などの内、正式な窓口のあるもの※都市間ツアーバスなどは遠鉄観光を参照のこと。廃止された年月順に並べる。名古屋鉄道(当時)、豊橋鉄道(当時)との協定を結び運行を開始した全長82.1kmの路線であった。多米峠有料道路を走行していた。しかし、東名高速道路の開通に伴い、利用客が減少したため、豊橋鉄道が運行から撤退し、他社も運行本数を減回するに至った。名古屋鉄道(当時)と運輸協定を結び運行を開始した路線である。ここでは、東名浜松静岡線の前身となる国道静岡浜松線についても記述する。なお、静岡鉄道での路線名は「東名静岡浜松線」であった。以前は定期観光バスとして舘山寺営業所が催行する浜名湖めぐりが存在した。遠州鉄道ではバンビツアーなどの愛称でツアーバス事業を展開する(遠鉄観光を参照)が、それとは別物である。又、ツアーバスなどは遠鉄百貨店南側の乗り場(路線バスでは「浜松駅西」バス停として通勤通学便の発着が有る)を使用するが、定期観光は浜松駅バスターミナル発着であった。なお、舘山寺営業所はツアーバスを含めた貸切事業はごく一部を除いて手掛けておらず、バスツアーに類するものとしては専ら定期観光のみの催行していた。遠鉄バスでは、硬券は発行していない。また、e-wing・e-LineRや一部の臨時シャトルバスを除き乗車券も発行していない。下記の他、提携店での買い物により発行されるお買物ETカードやお帰りきっぷがある。15名以上の場合に利用できる。遠鉄の乗車カードは電車・バスに共通して利用できる。過去にはICカードEG1CARDも利用できた。かつては金額式の回数券も販売されていたが、高速バスなど一部を除き、ETカードに代替され現在は販売していない。ただし、静岡県下のバス会社が静岡県の支援を受けそれぞれ販売するゼロの日回数券のみ一般路線用として例外的に販売している。前売りも実施している。遠鉄バスでは、超低床車の愛称として「オムニバス」と命名し、車体にも表記している。以下、本節でも遠鉄バスの保有する超低床ノンステップバスに関しては「オムニバス」と表記する。※各営業所により配置の多少が有るが、そちらについては各営業所の記事も参照のこと。遠鉄バスの仕様はハイバックシートで、カーテン付き、背もたれの降車ボタンなど、詳細は後述するが他社にはない特徴的な組み合わせの仕様で導入している。メーカーは、多い順に三菱ふそう・日野・いすゞの3社のバスを導入している。因みに、昭和末期までは営業所毎にメーカーが決まっていて、磐田営業所、天竜営業所、湖西営業所【当時】、袋井営業所【当時】、浜北営業所【当時】、浜松南営業所は日野のみ、細江営業所、三方原営業所、福田営業所【当時】、竜洋営業所【当時】、浜松営業所【当時】、富塚営業所【当時】はいすゞのみであった。尚、福田営業所は途中でいすゞから日野に変更された。(三ヶ日営業所【当時】や中遠観光営業所は貸切の営業所である為、元々路線車は所有していなかった。)その中で三菱ふそうは当時は少数派であり、導入していたのは舘山寺営業所と雄踏営業所のみであった。昭和62年に舘山寺営業所と雄踏営業所以外の営業所として初めて三方原営業所に三菱ふそう車が導入され、これ以降細江営業所や浜松南営業所等、元来三菱ふそう車が全く導入されていなかった他の営業所にも三菱ふそう車の導入が増えていった。その代わりにいすゞの導入が減り、いすゞが少数派となっていった。なお、昭和末期には日産ディーゼル(現:UDトラックス)製のバスが試験的に導入されたが、その後導入されることなく現在は廃車されている。MD92エンジンを搭載したエアロスターPKG-MP35U系は導入されていない。過去には磐田市自主運行バス専用車に唯一日産ディーゼル製富士重工ボディのRNワンステップが在籍していた。また、西日本車体工業ボディの車両は一切導入されていない。遠鉄では、1990年代中盤より基本的に大型車・コムニバス(中型ロングの超低床バス)のみを導入し、コムニバスは閑散路線を中心に運用している。中型ツーステップバスは、かつては遠鉄閑散路線を中心に運用し浜松駅にもしばしば顔を出していたが、現在では一部の自主運行バスに専属で充当されている車両がほとんどであり、一般路線での運用は天竜地区や磐田地区の一部で見られるのみである。なお、2008年に廃止された宮口線や2010年に廃止された白洲線の和地⇔舘山寺営業所区間便は、中型ツーステップのみの運用であった。また、かつて1990年前後に存在していた3 三島浅田中田島線も一時期中型ツーステップのみで運用されていた。一方、中型ワンステップバスは導入当初より秋葉線や自主運行バスを中心に運用されている。ちなみに、中型ワンステップバスが専属で運用される路線はかつて専属だったメローバスを除き、全て路面の都合上超低床バスが入ることの出来ない路線である。社内では、全長11m以上の車両を「特大車」、10.61m以上11m未満は「大型車」、9.01m以上10.6m未満を「中型車」、9m未満の車両は「小型車」として分類している。ワンマン化の過程では、1970年頃に前中引戸や前後扉という配置の車両も試験的に導入されたことがあるが、1981年の新車からは中扉4枚折戸を採用し、さらに車内はハイバックシート・横引きカーテン装備など、全般的にグレードは高くなっている。しかし、後部の行先表示器については交通バリアフリー法施行により義務付けられるまでは装備されていなかった。また、交通バリアフリー法施行後の2001年以降の納入車は全車両がLED式行先表示器であるため、後部表示器がついている車両は現在でもLED式行先表示器の車両のみで、回転式方向幕の車両に関しては現在でも後部方向幕は設置されていない。なお、オムニバスは2004年の途中まで基本的にグライドドアを採用していた。2004年の途中からは1980年以来の全車輛中扉がスライドドアでの納入となっている。また、1998年度以降に導入されたすべての車両にアイドリングストップ装置が装備されている。なお、遠州鉄道では同装置の装備有無に関わらずアイドリングストップを実施しており、アイドリングストップ中は全ての車輛で車内に音楽が流れる。音楽については#アイドリングストップ中の音楽を参照。このほか、「く・る・る」や「小林駅日赤病院線」の専用車として日野・ポンチョを導入しているほか、天竜営業所には廃止代替路線用として日産・キャラバンが1台在籍している。遠鉄では車齢15年をめどに売却・廃車しているが、新車の導入状況等により前後する。1997年後半、特に1998年より新車はオムニバスに統一されている。2006年9月30日現在の台数は179台となっていた他、2002年3月31日現在の台数は99台にのぼり、これは当時日本の民営バス事業者では最大の超低床ノンステップバス保有率となっていた。なお、オムニバス導入当初、実験的に全便超低床オムニバス化した51泉高丘線は、この効果により10%利用者が増加した。2002年には三菱ふそうよりディーゼル・電気式ハイブリッドバス(エアロスターHEV)の貸与を受け、遠鉄にて長期実用試験を行っていたが、この車両については中扉は引き戸となっている(市販バージョンの2台も同様)。ワンステップバスは基本的に導入されていなかったが、2005年度に自主運行バスを含む一部路線の専用車として中型車が3台初めて導入された。そして標準尺超低床ノンステップ車では輸送力が不足する場合があるため2008年に大型長尺車が初めて導入されて以後は大型長尺ワンステップが毎年数台ずつ導入されているが依然として少数派である。超低床バスが主流だった為ワンステップバスでは乗降時の転倒事故が多発した。そのため現在では出入口付近にステップがある旨の注意書きがあるほか、乗務員のアナウンスによる周知が行われ、ジェイバス製大型ワンステップ車には前扉ステップにLEDステップライトが取り付けられている。これは全国的にも珍しい仕様である。なお三菱ふそう車には取り付けられていない。遠鉄では、毎年15〜25台程度新車が導入されている。例えば、1998年には2785〜2815号車・12号車の計25台のオムニバスが導入された。1999年は、27号車〜78号車の22台が導入された。ただし、2008年・2009年は不況の影響もあり、2008年は7台、2009年は1台のみの導入である。なお、1998年導入の12号車と1999年導入の71号車を除く1998年度〜1999年度の全ての新車及び1997年度導入の2783号車(現在の2004号車、2015年廃車)1台は三菱ふそうエアロスター(2代目)のKC-MP747Mであり、12号車と2000年度の新車の3割は日野ブルーリボンのKC-HU2PPCEである。2000年度は147号車・148号車以外全て上記2型式なので、日野レインボーも導入されるようになった2001年度以降と比べ、エアロスターの割合が多い。そのためエアロスターKC-MP系オムニバスが最大勢力を誇っている。なお、147号車は日野レインボーのKL-HR1JNEE、148号車は同じく三菱ふそうエアロスター(2代目)であるがマイナーチェンジされたKL-MP37JMである。なお、147号車の車種も、148号車の型式も、それぞれこの1台を除いて全てLED式行先表示器を装備している。この他、三菱ふそうエアロスター(2代目)に関して、KC-MP系とKL-MP系で外観の差が無い事が特筆できる。また、内装にも殆ど差異は認められない。通常、KC-MP系では中扉にグライドスライドドアまたは扉下部にも窓のついたスライドドアを、KL-MP系では中扉に扉下部には窓の無いスライドドアを採用しているため容易に判断できるが、遠鉄ではKL-MP系もグライドスライドドアで導入している。また、KL-MP系ではオプションとなり取り付けない事業者が増えた補助ブレーキランプ・補助ウィンカーランプについても標準装備のKC-MP系と同様に取り付けられているためこの点での判別も出来ない。判別方法は、エンジン音や駐車ブレーキ(KL-MP系ではホイールパーク式となった)の他、外観ではKL-MP系は方向幕がLEDになっていることである。但し、方向幕のLED化は年式の差異によるものであり、KL-MP系である148号車は2000年導入のため回転式方向幕となっている。ちなみに、PJ-MP系は前述の通り中扉がスライドドアになったこと、補助ブレーキランプ・補助ウィンカーランプが消滅したこと、降車ボタンの形状・音色が変わったこと、内装が異なることなどで容易に区別できる。サスペンションは、昭和30年代にエアサスツーステップ車が遠鉄エアサスバスの愛称で導入されたが、その後のツーステップ車は全てリーフサスペンション、オムニバス・ワンステップバスは全てエアサスペンションで導入されている。一方で東日本大震災や台風被害の影響を受け1997年式のKC-MP317M(エアロスター(2代目)ツーステップ)の2732号車が2012年から2013年にかけて災害対策車に改造され、白ナンバーの1号車となった。この車両はEMVと名付けられ、通常時は教習車として使用される他、催事輸送の際には当車両にて運行管理を行っている。なお、浜松市営バスの事業廃止時に譲渡された3台(廃車済)、浜松市から受託の三ヶ日地区自主運行バス「三ヶ日オレンジふれあいバス」の日野リエッセサンプルカー1台を除き、中古車は一切導入されていない。この他、オレンジ急行やモーニングダイレクト用に三菱ふそう・エアロバスが在籍している。装備・仕様等は#仕様を参照。e-wing・e-LineR用高速車はほとんどが三菱ふそう車であるが、e-LineR用にはいすゞガーラも在籍する。当初は貸切用途から転用した車両が多くを占めていたが、e-wing車は新造車が多数導入されており、現在ではこちらが大多数を占める。e-LineRにも順次新造車が導入されている。オレンジ急行や一般路線の一部便に高速車が充当されることがある。全車4列シートで、貸切転用車は補助席を装備し、新造車は装備しない。なお正席が満席の場合でも補助席は通常使用されない。また通常はチケット方式であるため使用されないが、IC処理機付整理券発券器とIC処理機付運賃箱を装備する。なお、続行便や予備車として一般路線用のエアロバスや一部の貸切車が充当されることもあり、e-wingには日野・セレガが充当されることもまれにある。e-wing車にはトイレは装備されていない。e-LineR車も当初は装備されていなかったが、のちに設置改造が行われている。なお新造車には当初から装備されている。e-LineRに関しては化粧室付車両試験運行の際に日野・セレガが使用された実績がある。詳細は横浜イーライナーを参照。詳細はe-wing#車両・e-LineR#車両を参照。過去には、貸切バスとの兼用を考慮した「乗貸兼用車」も存在し、貸切車と同様のフロントグリルが異彩を放っていた。かつて運行されていた高速バス東名浜松静岡線には、三菱ふそうエアロバスが使用されていた。この他、東名浜松静岡線には、観光バス用シャーシに路線バス用車体を架装した高速・路線兼用車が1台在籍していた。浜松市交通部の事業廃止時に、遠鉄バスに譲渡された車両4台(1258、1259、1260、1261号車)が存在した。これらの譲受車は、いずれもいすゞK-CJM470で、当時の遠鉄バスの自社発注車が標準尺車・中扉4枚折戸・側窓は引き違い窓(メトロ窓)・クロス張り床という仕様であったのに対し、短尺車・中扉引き戸・側窓は2段窓・木の床という相違点があった。1996年までに全廃されている。また、浜松市循環まちバス「く・る・る」用には当初はオムニノーバ・マルチライダーが導入されていた。遠鉄バスは地方の事業者としては珍しく車両のライフサイクルが短いことでも知られていて、同社で退役した車両は全国の地方事業者に譲渡されている。浜松市がオムニバスタウンに指定され、超低床ノンステップバスの導入が推進された1997年以降より増加している。主な譲渡先は、網走バス・道北バス・道南バス・下北交通・岩手県交通・宮城交通・南越後観光バス・北越後観光バス(旧・越後柏崎観光バス)・椎名観光バス・日立電鉄交通サービス・茨城交通・群馬バス・諏訪バス・川中島バス・エスラインギフ・広島電鉄・芸陽バス・熊本バス・琉球バス交通・沖縄バスなどである。また、一部の車両はミャンマーなど海外へも輸出されているほか、大型二種免許用の教習車に改造され、自動車教習所に導入された車両もある。車両番号については、登録番号をそのまま使用している。例えば、「浜松22か22-22」(三方原営業所に在籍していた三菱ふそうエアロスター長尺車U-MP218P。初期のETカードにもデザインされていた)であれば、2222号車となる。登録番号重複の恐れがある場合は、希望ナンバー取得により対処している。2009年現在、4桁のナンバーは2004号車と3000番台、及びく・る・る用の5000番台を除き「浜松22か」、2〜3桁ナンバーの車輛は「浜松200か」(希望ナンバー車は「浜松230あ」)である。2004号車は「浜松22か27-83」が改番したもので、「浜松230あ20-04」になっている。同じく3000番台も2桁ナンバーから改番したため「浜松230あ」である。く・る・る用車輛は導入時より「浜松230あ50-xx」で連番にしている。ここでは路線車の仕様を中心に述べる。ツーステップ車は銀色に深緑の帯が入った塗色を採用している。また、下部は僅かながら茶色の帯になっている。茶色の帯は過去の車両の方が今の車両よりも太かった。因みに塗装色の銀色は中田島砂丘の砂、深緑は浜松市の木である松、茶色は三方原台地を表している。尚、1987年導入車より深緑の帯と窓枠の間には赤い線が入っている。このツーステップ車の塗装色はオムニバスが登場するまで、殆ど変更されていなかった。一方、超低床バス・ワンステップ車は銀色に緑・黄緑の帯を巻いているが、ツーステップ車とは巻き方が異なり、わずかにピンクも使われている。超低床バス・ワンステップ車は下部の茶色の帯は無い。なお、どちらも窓上に深緑(ツーステ)や黄緑(超低床・ワンステ)がどちらも同じ巻き方で巻かれている。ちなみに、2001年より存在するラッピングバスは台数を自主規制しており、20〜30台にとどまっている。また、遠鉄初のラッピング車輛である、浜名湖花博ラッピングを施した2004号車以外は前面へのラッピングは一切行っていない。2004号車は特徴的なラッピングを施したが、そちらは#方向幕を参照。2688号車が現存する。かつては2374号車・2375号車をはじめ、他にも存在したが、すべて2009年まで(2687号車は2015年)に廃車された。かつてはオレンジ急行・e-wing掛川区間便を中心に運用されていたが、e-wing掛川区間便は廃止、オレンジ急行は通常e-wing車両での運行になったため現在は一般路線で運用されている。シートベルト装備の着席定員重視仕様のため、浜松駅〜エコパスタジアム間シャトルバス、一般の貸切運用の実績もある。以下に特徴を述べる。なお細江営業所には上記車両以外に、通常仕様のツーステップ車にシートベルトのみ取り付けられた車両も在籍する。路線バス車両は以下の例外を除きフィンガーシフト式直結(DD)5速MTまたはフィンガーシフト式OD付6速MT)である。なお、前述した高速道路対応の路線バス車両はフィンガーシフト式直結(DD)5速MTで導入された。ロッド式は中型ツーステップ車、e-wing車のみにて残存している。かつてフィンガーシフトが開発される前は大型車もロッド式直結(DD)5速MTであった。また、1984年式K-MP118Nの1481号車は1989年にフィンガーシフトに改造し2062号車に改番されている。高速車は貸切車に準ずるが、貸切車はかつてロッド式が設定されていた時代には基本的にロッド式での導入としており、ロッド式の設定が廃止された車種型式より順次フィンガーシフト式に移行した。なお全車MTでATは在籍しない他、貸切転用ではなく高速車として導入された車両はロッド式設定廃止後であるため全車フィンガーシフトである。"貸切車の詳細は遠鉄観光を参照。"左サイドには車内から前面方向幕(回転式方向幕・LED幕)を確認する横長のミラーが、右サイド車内に運転席直後の座席を確認する縦長のミラーが取り付けられているなど、全国的に珍しい組み合わせで導入している。また、アンダーミラーは通常は左サイドに取り付けられるが、遠鉄では殆どの車輛で左右両方に取り付けられており、こちらも全国的に珍しい。中扉は前述の通り1981年の新車から4枚折戸を採用し、その後のほぼすべての大型ツーステップで採用された。また、中型ツーステップに関してもいすゞジャーニーKの一部車輛を除き2枚折戸となっている。この様に折戸を採用した背景には、スライドドアで乗客を挟み込む危険性があると判断されたことや4枚折戸に関してはワイドドア化による2列乗車制度の導入などがある。超低床オムニバスは、いすゞ製車輛を除き、オプション扱いでも2004年の途中までグライドスライドドアを採用していたことが特筆できる。なお、2004年の途中以降の超低床オムニバスやすべてのワンステップバス、年式に関わらず一部のいすゞ製車輛はスライドドアを採用しているが、2011年 - 2012年上期の新車を除き引き続きICカード対応整理券発券器が左右に完備されている。そのため中型車ならびに左記の例外を除き2列乗車制度が採用されている。ツーステップは、一般的なブザーである。ドアが閉まるときは一部車両を除き閉まりきるまでブザーが鳴ることが特筆できるが、ドアが閉まり始める際に一瞬音が途切れる。このような例としては他に国際興業バスがある。超低床オムニバスでは視覚障碍者にも低床車だとわかるようにオリジナルのベル型のチャイムが採用された。音色としてはどちらかというと固定電話の着信音や電車の発車ベルに近い。ツーステップ車と同じく閉まりきるまでチャイムが鳴るが、ドアが閉まり始める際も音は途切れない。車内ドアチャイムは音の高低差は有るものの全て同じ2音の和音となっている。車外ドアチャイムはパナソニック電工製のホロホロブザーが主流であるが、中には同じパナソニック電工製の「ピー」という単純なブザーの車輛や、電動式車いすスロープの作動警告音や岐阜バスの車外ドアチャイムなどと同じパナソニック電工製のフリッカブザーもある。なお、車外ドアチャイムはドアが閉まる際は閉まり始める前しか鳴らないものもある。日野ポンチョ、磐田市バス用の日産ディーゼルRNならびに一部の一般路線車など閉まる前のみブザー/チャイムが鳴る車両も存在する。元メローバス用車(現在一般車)の417号車のみピンポンと一回鳴動するチャイムを装備する。2009年以降の導入車は全国的にみられる泰平電機製のピンポンチャイム、アナウンス仕様に変更された。なおチャイムの鳴動回数は年式、車種により異なる。車外へは従来と同じパナソニック電工製のホロホロブザーが流れるほか、2010年式以降は扉が完全に閉まるまでチャイムが繰り返される仕様となった。オムニバス・ワンステップに関しては車いす用スロープが完備されているが、回転幕の世代オムニバスは電動式車いすスロープ、排ガス規制がKL-以降の全ての車輛では手動の車いすスロープである。これは、電動式車いすスロープ関連のトラブルが多いことやメーカー設定の消滅によるものである。なお、遠鉄にはリフト車は存在しない。標準尺の車輛が殆どで、そこに長尺車が加わるという構成である。以前は短尺車も存在したが、1994年の導入を最後に導入されていない。最終的には浜松南営業所に配置されていたU-MP218Kの2369号車・2471号車の2台のみとなっていたが、2010年7月にどちらも廃車となり、遠州鉄道から短尺車が全廃となった。また、長尺ツーステップはU-MP218Pである2374号車(1994年式の高速道路対応車)の廃車により2009年末で姿を消した。なお、オムニバスのみの導入となった1998年以降は導入車種に於いて最も長い尺で導入しており、ブルーリボン・ブルーリボンシティのみ長尺、他は標準尺となっている。また、ワンステップバスは長尺でのみ導入されている。三菱ふそうエアロスター(2代目)を除く全てのツーステップはメトロ窓を採用していたのが特筆できたが、設定消滅に伴い逆T字窓となっている。2011年 - 2014年前期の新車は熱線吸収・UVカットガラスが採用され、カーテンが省略されているが2014年後期から再び標準窓でカーテンが設置されている。ツーステップは(外側から)ウインカー・ブレーキランプ・ブレーキランプの3連テールを採用していた。日野小松製大型超低床バスならびに中型ワンステップ車、2003年式までのいすゞ製超低床バスは田の字型テールランプ仕様に変更して採用していた。三菱ふそう車はKL代(中型ロングはKK代)までオプション設定の上部の補助ブレーキランプ・補助ウインカーランプを搭載した。PJ代では補助テールランプの設定がなく、またLKG代以降は補助ブレーキランプのみ設定があるが搭載されていない。遠鉄バスでは、バーコード整理券、及びバーコード整理券式運賃箱を長崎バス・函館市交通局(バス・路面電車)と共に全国で最初に導入した。遠鉄では運賃箱の新旧を問わずバーコード整理券導入以降は整理券投入時と運賃精算完了時に音が鳴るシステムを採用している。運賃箱は、以前は函館市交通局と同じく小田原機器製のRX-FA1型運賃箱であったが、2003年度のICカード「EG1 CARD」(「ナイスパス」の前身)導入時にレシップ製NF-3(NF3-E型)に更新された。2003年2月頃より導入されたレシップ製の運賃箱は日本初のカラー液晶画面を搭載、視認性・表現力に優れており、その後多くのPASMO導入バス会社(西武バスほか)や岐阜乗合自動車(ayuca)などでも採用された。車両により、整理券投入・大人精算完了チャイム・小人精算完了チャイム(学生ナイスパスをはじめとする各種割引精算を含む)の音色がそれぞれ2パターンずつ存在し、片方は鉄道線と共通のものを採用している。ICカード「ナイスパス」に入金するときには、「入金」ボタンを押すことにより乗務員への申告無しに行うことが出来る。この際、運賃箱が「積み増しします。カードを置いて下さい。」(入金ボタンを押した時)・「紙幣を挿入して下さい。」(カードを置いた時)・「ありがとうございました。」(任意の金額を入れカードを外した時=入金完了時)のアナウンスが運賃箱より流れる。春休み・夏休みの子供1乗車50円期間中は、
出典:wikipedia
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