日本生命保険相互会社(にほんせいめいほけん、英称:"Nippon Life Insurance Company")は、日本の生命保険会社。総資産でかんぽ生命保険(日本郵政グループ)に次ぐ業界2位。保有契約高・保険料収入では最大手である。株式会社ではなく相互会社である。1889年に創業した、日本で3番目に古い生命保険会社である。1899年に保有契約高が業界首位となり、現在までこれを保持している。会社形態は相互会社であり、株式会社ではない。株式を発行していないので、同社には株主がいない。2010年4月には、それまで相互会社であった第一生命保険が株式会社化したものの、当社は株式会社に転換する考えはないと説明している。およそ60兆円の資産規模を持つ機関投資家として、しばしば「民間最大の機関投資家」、「強い政治力」といった風刺の対象となる。2015年3月現在、日本生命の投資先は公社債(37.0%)、株式(14.8%)、外国証券(26.4%)、貸付金(13.7%)、不動産(2.8%)などとなっている。現在のスローガンは、「“大切な人を想う”のいちばん近くで。」(2015年4月~)。2014年度については創業125周年にちなみ、「あなたの”いまとみらい”に安心を。」も使われている。それ以前は「ずっと支える。もっと役立つ。」、「みらい創造力で、保険は進化する。」(2012年4月~2015年3月)だった。経常収益(株式会社でいう売上高)は、7兆2,936億9,500万円(連結)。内訳は、保険料収入5兆3,371億1,800万円(同)、資産運用収入1兆7,739億5,100万円(同)、その他雑収1,826億2,500万円(同)などである。収益のうちに占める保険料収入の割合は概ね73%である。日本生命は国内民間最大規模の機関投資家である。日本生命のメインバンクは三菱東京UFJ銀行(旧三和銀行。日本生命は三和グループの社長会である三水会には所属しているが、みどり会には所属していない)だが、その資本力、規模から実質的には「銀行系に属さない機関投資家」とみなされている。長年の蓄積から、2014年現在、国内で上場している企業のうち、601社で上位10位までの株主であるとされる(全上場企業3,733社のうち約2割)。1980年代後半時点では、上場企業1,806社(当時)のうち、69社の筆頭株主、432社で上位5位までの株主、約750社で上位10位までの株主であった。こうしたことから、バブル時代には日本経済新聞から「日本株式会社の静かなる大株主」とあだ名された。なおバブル期以降は、リスク資産の圧縮のため売却を進め、2003年時点では、国内で発行されている株式総数の2.3%、3,000銘柄(うち上場銘柄2,150)を保有していたと報道されている。筆頭株主となっている企業は、三菱UFJフィナンシャル・グループ、東洋紡、帝人、クボタ、近畿日本鉄道、阪急阪神ホールディングス、南海電気鉄道、京浜急行電鉄、京王電鉄、サッポロビール、武田薬品工業、アステラス製薬、第一三共、田辺三菱製薬、高島屋、東京放送ホールディングス、テレビ東京ホールディングス、毎日放送、朝日放送、など。非上場企業の主要株主企業にはサントリー、テレビ大阪などがある。不動産賃貸業(いわゆる貸しビル事業)では、所有延床面積で三菱地所、三井不動産に次ぐ国内3位の規模である。賃貸用不動産残高は1兆705億円、賃貸用ビル保有数は339棟にのぼる。1889年7月に滋賀県彦根で第百三十三国立銀行(現・滋賀銀行)の頭取をしていた弘世助三郎が関西の財界人、第四十二国立銀行(現・三菱東京UFJ銀行)頭取・田中市兵衛、川上左七郎、土居通夫、山口吉郎兵衛岡橋治助、西田永助、竹田忠作、井上保次郎、熊谷辰太郎、難波二郎三郎、草間貞太郎甲谷権兵衛、泉清助の諸氏に呼びかけて、社長に11代目鴻池善右衛門を据え、片岡直温らを取締役にして資本金30万円の有限責任日本生命保険会社として大阪に発足させた。保険料表を当時主流だったイギリスの保険会社のものを使わずに、日本人の死亡統計から作成したものを採用した。 1891年に株式会社化し(社名は日本生命保険株式会社)、相互扶助の精神のもと1898年の第1回大決算において、日本で最初に契約者への利益配当を実施した。第2次世界大戦中に戦時統合として、富士生命保険・愛国生命保険と合併した。戦後は金融機関再建整備法に基づき、1947年に相互会社(社名は日本生命保険相互会社)として再出発した。高度経済成長期である1963年に東京都千代田区に日生劇場を完成させた。また、1975年には経営が困難となっていた琉球生命保険の全契約の包括移転を行い、事実上の救済合併を行った。1988年2月4日に生命保険会社の総資産部門の世界ランキングでアメリカ合衆国のプルデンシャル保険を抜いてトップにたつ。すでに新契約高・収入保険料・保有契約高の三部門で世界一になっていたので、これで四部門のすべてを制する「四冠王」に輝き、名実ともに世界第1位の生命保険会社となった。1990年代以降はアメリカ合衆国や中華人民共和国へと進出を始めた。金融自由化の流れの中で、1996年にニッセイ損害保険を設立し、損害保険業界に進出した。1990年代以降の景気低迷の流れの中で業務提携・経営統合をすすめた。三井海上火災保険・住友海上火災保険と提携、ニッセイ損害保険も同和火災海上保険と合併させニッセイ同和損害保険(現・あいおいニッセイ同和損害保険:MS&ADインシュアランスグループホールディングス傘下)を設立し、解散した同和生命保険の全契約を引き取った(契約の包括移転)。社章は、1987年までは紋所の一つである組み合い角に“生”を配したものだったが、1988年にコーポレートアイデンティティ(CI)を導入し、赤の正菱形に“N”を配した現社章(呼称:センチュリークリスタル)が制定された。本店ビル(1935年築、長谷部鋭吉設計)は、大阪市中央区今橋三丁目5番12号に所在する。本部機能は大阪と東京に分散しており、本店には総合企画部門と人材開発部門、保険契約管理のための事務、システム部門が、東京都千代田区の「丸の内オアゾ」にある「東京本部」には、総務部門や資産運用部門などが入っている。堺市にシステムセンターを、東京都内にバックアップセンターを保有しているが、2011年度中に、茨木市に新システムセンターを設置し、堺市のシステムセンターと、日本の生命保険会社としては初めてメインシステムの並行稼働をさせる。並行稼働させる理由は、災害時の稼働性の担保であり、システム改変時の稼働を容易にするためである。また、茨木市の新システムセンターには商品企画の研究開発部門を併設し、保険商品の開発や、保険金不払い等の瑕疵を防ぐシステムの開発を行う。また、本店被災時のバックアップセンターも設置される。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。