高見 泰範(たかみ やすのり、1964年1月6日 - )は、岐阜県出身の野球選手(捕手)・指導者。バルセロナオリンピック野球日本代表では主将を務めた。小学校4年生から捕手一筋で野球を続け、羽島北高校では3年生のに春の岐阜大会で優勝。甲子園出場はならなかったが、愛知工業大学に進学。大学では一学年下の西崎幸広とバッテリーを組んだ。1985年のドラフト会議で阪急から5位指名されるも、プロ入り志向がなく指名順位も低かったため入団を拒否して社会人野球の東芝に進んだ。1年目から都市対抗に出場し、2年目にはレギュラーに定着。3年目の第59回大会では16打数9安打の成績でチームの優勝に貢献し、自身も捕手としては52年ぶりとなる橋戸賞を受賞。さらに秋の日本選手権では決勝戦で逆転満塁ホームランを放って優勝し、同年は初めて社会人ベストナインに選出されている。にはアジア選手権やIBAFインターコンチネンタルカップで日本代表に選ばれ、古田敦也とスタメン出場を半分ずつ分け合った。のバルセロナ五輪では日本代表にチームメイトの杉山賢人らとともに選出され、主将を任された。バルセロナの本大会では捕手として全試合に先発出場し、八番ないし九番の下位打順ながらチーム3位となる打率.370を残している。特に予選リーグおよび3位決定戦での対アメリカ戦では、それぞれ3安打2打点、2安打2打点と気を吐いた。五輪終了後の11月15日には駒澤大との全日本アマ王座決定戦に出場し、3ランホームランを放つ活躍でMVPに選ばれた。翌からはコーチ兼任となりチームでの出番は減少したが、同年は初めて都市対抗の補強選手に指定され、三菱自動車川崎から出場している。で一度は現役を引退したが、の1年間だけ復帰して選手登録している。から再び東芝のコーチに専念、からまでは同チームで監督を務めた。また、第15回アジア大会や第38回IBAFワールドカップでは日本代表のコーチとなっている。東芝の監督退任後は、全日本アマチュア野球連盟の技術情報部会の特別委員を務めているほか、にはNPO法人のスポーツWelfareぎふを設立して理事長に就任し、スポーツを通じた健康増進などを進めている。高校時代には遠投120メートルを記録するなど、強肩には定評があった。東芝の合宿所には数百本のビデオテープを持ち、毎日自宅で深夜まで他チームを研究していたという。
出典:wikipedia
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