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全国高等学校野球選手権大会

全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)は、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟の主催で毎年8月に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球大会である。5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。大会旗および優勝旗の色は赤で、優勝旗はその色から、「深紅の大優勝旗」と呼ばれている。「夏の甲子園」、「夏の高校野球」、「夏の選手権」などと呼ばれ、また高校野球関係者の間では単に「甲子園」という表現も用いられる。代表校は地方大会で決める。本大会の予選のように扱われることがあるが独立した大会である。原則として各府県1校ずつだが、北海道は北北海道・南北海道で2つに分けた2校、東京都は東東京・西東京で2つに分けた2校となり合計で49校となる。6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会で勝ちあがった学校が出場できる。大会は地方大会、全国大会ともにすべてノックアウトトーナメントで開催される。なお第59回大会(1977年)まで(記念大会を除く)は、学校数の少ない府県は2つで1つの代表を選出していた。1敗も許されないトーナメント方式の大会を勝ち抜くことは、毎年非常に厳しいとされている。また、全国の参加校は現在約4000校前後ある。1990年に4000校を超えたが、2012年に23年ぶりに4000校を下回った。都道府県別では第60回記念大会(1978年)以降、257校以上の9回戦制になってしまう参加校がある北海道と東京都で各2校を出す他は、40校未満(例:山梨県・福井県・和歌山県・鳥取県・香川県・徳島県・高知県)の小地区でも、8回戦制の129校以上(例:埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県・福岡県)の大地区でも、各府県1校だけである。特に第98回大会(2016年)現在、参加校は愛知県の地方大会が一番多い(190校)。次いで神奈川県(188校)、大阪府(177校)の順。逆に参加校が一番少ない地方大会は、鳥取県(25校)である。過去に各都道府県高野連に加盟する学校数が256校を超えたのは、東京都(267校)と北海道(293校)だけである。なお第80回記念大会(1998年)では記念大会として従来通りの北海道・東京都に加えて、参加校128校を超える埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県の6府県が最大8回戦制からそれぞれ2校に拡大され最大7回戦制になった。同様に第90回記念大会(2008年)も最大8回戦制である都道府県のうち先述の6府県が2校に拡大されている。また北海道は第89回大会(2007年)に、東京都は第78回大会(1996年)にそれぞれ区割り修正を行い、北海道は北空知地区(北北海道)と南空知地区(南北海道)を合併し空知地区(北北海道)に移動され、東京都は世田谷区の加盟校を西東京から東東京に各変更した。だがその後東京都は東が増加してアンバランスになってきた為、第95回記念大会(2013年)の東西東京大会で、区割り変更を行い世田谷区の加盟校が東から西、中野区の加盟校が西から東に変更された。地方大会の基本的なルールは選抜高等学校野球大会と同じく開催年度の公認野球規則、アマチュア野球内規、高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上)が実施されている。但し、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。現在の組み合わせ抽選の抽選方法は、全試合抽選方式を採用している。シード制は採用されていないため、初戦で注目校同士の対戦になる事もある。抽選方法は以下の通り。この方式は2013年度の第95回記念大会から採用された。1994年以前も全試合抽選方式を採用していたが、その頃とは違って、試合間隔にも配慮した仕組みになっている。なお、1995年~2012年までは、組み合わせ抽選会でまず3回戦までの組み合わせを決定し、準々決勝4試合と準決勝2試合はその都度で決定していた。組み合わせ抽選会は毎年開会式3日前の16:00から行われている。また、選手宣誓は対戦相手が決まった後、各校の立候補した主将によるくじ引きで決定する。当初は選抜高等学校野球大会同様に、一度の抽選で決勝戦までの対戦を決めていた。しかし第40回大会(1958年)、第45回大会(1963年)は記念大会として1県1代表制を採り、出場校が増えたため、まず3回戦までの組み合わせを決定し準々決勝と準決勝はその都度甲子園球場で決定される方式を採った。当時の朝日新聞縮刷版を見ると、第40回大会(1958年)、第45回大会(1963年)ともに、1回戦から、その都度抽選を行っている。また、1952年8月11日の朝日新聞紙上に「今度の大会から、第3日第1試合の第一回戦(7試合14チーム)の番組と、不戦一勝のクジを引いた残り9チームによる第2回戦の取り組みを決めるだけで、勝ち残ったチームがどのチームと顔を合わせるかは次の抽選まで決まらないという方式をとった」(原文のまま)という記述がある。朝日新聞紙上で確認できるそれ以前については、敗者復活戦の無くなった第5回から7回まではすべて抽選。8回から12回までは記述が見当たらず不明。1927年の第13回大会から中止前年の1940年第27回大会まではその都度抽選。戦後復活の1946年昭和21年度大会から、1951年の昭和26年度大会(この〜年度大会という呼称は、1953年の昭和28年度大会まで続いている)までは、現行選抜大会と同じヤグラ方式である。以上のことから、1952年から1994年までは、その都度抽選を行ったことになる。その後、第76回大会(1994年)までは初戦が大会直前に決定しその後の組み合わせは随時甲子園で抽選して決定していたが阪神・淡路大震災に因る交通障害、或いは選手の健康管理上試合スケジュールの均一化を図ることから第77回大会(1995年)から再びこの方式に戻された(この時1日4試合日の開始時刻も8:00開始から、30分繰り下げられて8:30開始となった)。かつて一発抽選だった頃は、隣接県同士が初戦で対戦することも珍しくなかったが、第60回記念大会(1978年)以降1府県1代表制(但し北海道・東京都は2代表制)となってからは隣接県同士の対戦を避けるため、東海・近畿・北信越(東ブロックの境目-新潟・長野・富山・岐阜・三重。西ブロックの境目-福井・滋賀・京都・奈良・和歌山。但し、石川は当初1978~87年迄の10年間は東ブロックだったが、1988~2006年迄の19年間は西ブロックへ移動した)地区を境に東西対決方式で抽選する形が第88回大会(2006年)まで29年間続いていた。しかし、東西隣接した府県勢同士がこの後も初戦で対戦しあう事態が度々あったことに加え、地区別で唯一東西両ブロックが混在していた北信越勢だけが92年の星稜(石川)対長岡向陵(新潟)を皮切りに、5度初戦でつぶしあう新たな弊害も起こっていた。第89回大会(2007年)からは東西対決方式を廃止し、第59回大会(1977年)以来30年ぶりのフリー抽選式に戻した。但し、これまで通り北海道、東京都の2代表に関しては初戦で直接当たらないように配慮している。準々決勝戦については、第84回大会(2002年)までは1日4試合を一括開催していたが、第85回記念大会(2003年)から選手の健康管理を考えて、1日2試合ずつの2日間開催に変更した。但し、雨天中止による日程遅延が3日間以上続いた場合は日程消化の関係で4試合を一括開催する。この関係で長年8月8日にほぼ固定されていた開幕日が、1 - 2日程度前倒しして行われるようになっている。現在、夏の甲子園大会の出場校数が49(ただし、第80・90回の記念大会は55)であるため、1校だけ組み合わせの時点で初戦の対戦校が決定しない。その1校は1回戦を免除される(現在では2回戦で第1日目に勝利した3校のいずれかと対戦)利点があるものの、対戦成績は出場49校が定着した第60回記念大会(1978年)以降、第80回記念大会(1998年)・第90回記念大会(2008年)を含め10勝29敗(引き分け再試合1:2016年第98回大会時点)である。また、勝利した10校のうち2勝以上あげたのは2006年・第88回大会の鹿児島工業のみであり、他の9校は勝利しても次の3回戦で敗退している。対戦が決定していた当時、第88回大会(2006年)で鹿児島工がこのジンクスを破って4強入りしたが、中迫監督は「試合を見に行かせた」「対戦相手の試合を見られることもいいこと」などと振り返っている。なお、2013年度の第95回大会からは、1994年以前の1試合ごとの抽選に戻すことになった。1994年以前の組み合わせ抽選は初戦は大阪市内の会場で、本選に入ってからは1回戦・2回戦・3回戦・準々決勝のそれぞれの最終日に甲子園球場で公開抽選の形式でまとめて決定していたが、第95回の大会では初戦は従来通り事前に大阪市内の会場で抽選会を行った後、本選に入ってからはそれぞれの勝ち上がり校は試合の終了後にすぐ組み合わせ抽選を行い、極端な連戦や試合間隔の開きすぎといった不公平感は極力なくすように日程を調整する。このほか準々決勝についてはこれまでの1日2試合×2日間から、2002年(実質は2003年)まで行っていた1日4試合開催に戻すこと、また準々決勝のあくる日は原則として休養日(雨天中止が3日間以上続いた場合は休養日なし)に充て、選手の連戦による健康被害軽減に努めることになった。全国大会では地方大会で採用されている点差によるコールドゲームは全試合認められていない。ただし、降雨による天災等止むを得ない事情で試合を中断・打ち切る場合は、試合が7回以降に入った場合に成立(コールドゲーム)とする。なお、地方大会同様全国大会も決勝戦に限り、試合が9回攻撃終了とならない場合ノーゲームとなる。1915年に第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置されたものであるが、規模の小ささなどが問題になりすぐに他の会場探しが始まった。この当時は遠征費用が全て出場校持ちだったこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することも考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年の第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加。1923年の第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案する。鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川とした後にできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三の構想もあり、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致する。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設。1924年8月1日に完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年であることから、甲子園大運動場と命名された。同年第10回大会から使用を開始。1946年の第28回大会はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行う。さらに出場校を大幅に増やした第40回記念大会の1958年と第45回記念大会の1963年も甲子園球場と西宮球場を併用して使用するものの、不公平として評判が良くなかったため(甲子園で試合できず敗退した学校からは苦情があった)、これ以降は一貫して甲子園で行われるようになった。当大会を主目的に建設された甲子園球場は半世紀余りの大会を優先的に行っているため、当球場は高校野球の聖地として高校球児達の憧れの舞台となっている。「甲子園」という言葉自体が高校野球全国大会の代名詞となっており、“夏の甲子園”という通称としても扱われているように当大会に大きく貢献していることから、2010年シーズンから大会の特別協力として扱われている。なお、上述のような経緯、そして開設当時は阪神電鉄も電車運賃と沿線開発によって収益を挙げられたことにより、高校野球の開催について甲子園球場の使用料を請求しておらず、これは開設から90年以上を経た2015年時点でもそのままとなっている。現在の全都道府県から代表が出場する以前(第40・45回を含む。第50・55回は基本14日間)は8月中旬(概ね8月10日前後から)の10日間前後が割り当てられていた。第60回・1978年以後各都道府県の代表が参戦するようになってから、概ね8月8日を起点とした14日間を基本として行うようになったが、選手の健康管理の観点から第85回・2003年(実際は雨天中止のため第86回・2004年)以後は準々決勝を原則2日間に分けて行うことになったため、15日間が基本となった。出場枠が55校に拡大される場合は2日間延長される。第95回・2013年以後は前述のとおり、準々決勝を1日でまとめて行う代わりに、その翌日を休養日とするため、休養日を除いた基本日程は14日間に戻る。夏季オリンピック開催年は、開催期間の重複を可能な限り避けるための日程調整が実施されることがある。例として、第74回大会(1992年・バルセロナ五輪)は8月10日から、第90回記念大会(2008年・北京五輪)は史上最も早い8月2日にそれぞれ開幕していた。なお、日本の電力消費は全国高等学校野球選手権大会をピークになっており、電力供給もそれに合わせて調整を行っているという通説がある。電力需給の観点から、電力行政を管轄する通商産業省(現:経済産業省)が開催時期をずらすことについて検討をしたことがある。第78回(1996年)までは、主催者の職員が司会を担当していたが、第79回(1997年)以後は、近畿圏に在学する高校の放送部員(概ね、NHK杯全国高校放送コンテストの近畿地区の各府県コンクール・アナウンス・朗読の部門で入賞した生徒)が4人(開会式・閉会式に各2名ずつ)が担当するようになった。開式の前に関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟がライトスタンドと1塁側アルプスの間に設けられたゲートから入場。なお第82回大会(2000年)の開会式から、ライト側で西宮をPRする会による人文字を行っている。表彰式に先立ち、共同公開インタビューとして、NHKアナウンサーの司会により優勝監督へ、朝日放送アナウンサーの司会により優勝校の殊勲選手若干名にそれぞれインタビューを行う。閉会式の準備ができるまでの間、ベンチ周辺でインタビューが行われ、閉会式の準備が終わり次第、閉会式が始まる。開会式・閉会式の国歌・大会旗の掲揚・降納は、2000年までは、開会式は出場校の主将、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告版の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、改修以後は選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。同大会歌は、第12回大会(1926年)に制定され第29回大会(1947年)までは、福武周夫作詞、信時潔作曲、陸軍戸山学校合唱団が歌いポリドールより発売された『全国中等学校優勝野球大会の歌』。「撃ちてし止まん」等、文語体で詞が統一されている。選抜高等学校野球大会の大会歌は『全国選抜中等学校野球大会の歌』であって、歌唱者さらにレコードレーベルが同じだったが曲調と詞は合間に手拍子が挿入されているなど、『全国中等学校優勝野球大会の歌』とは全く異なっていた。現在も選手入場の際に使われている『(全国中等野球)大会行進曲』は山田耕筰が作曲した作品であり、第21回大会(1935年)から使用されているが、富田砕花作詞の歌詞がある。この場合は『全国中等野球大会行進歌』と呼ばれる。『栄冠は君に輝く』は学制改革により従来の中等学校が高等学校となり、夏の甲子園大会が全国高等学校野球選手権大会と呼ばれることになる1948年に作成された。朝日新聞社は学制改革を記念して「高等学校野球大会歌」を募集した。5252の応募作品の中から加賀道子(実際には夫の加賀大介の作)の歌詞「栄冠は君に輝く」が選ばれ、古関裕而が作曲し、第30回大会から大会歌に制定される。伊藤久男とコロムビア男声合唱団によって歌われて1949年に日本コロムビアからレコードを発売。開幕試合の始球式は朝日新聞社のヘリコプターからボールを投下する。3年生部員にとってこの大会で負けると高校野球生活が終わるという意味をこめて「夏が終わる」と表現され、大会途中で敗退したチームが試合終了直後に甲子園の土を拾い集める光景はよく報道でも取り上げられている。なお優勝・準優勝校が土を拾い集める場面はテレビ放送で流されないために、大会途中で敗退したチームのみが行うものと誤解されている場合もあるが、実際には優勝・準優勝校も閉会式や記念写真撮影、インタビュー終了後、グラウンドから去る寸前に土を拾っている。また1・2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない者もいる。第83回大会(2001年)でアルプス席のブラスバンド部員がファウルボールに当たり負傷したことから、翌第84回大会(2002年)から打球に注目してもらうため、従来は係員が回収していたファウルボールを選抜大会も含めて観客にプレゼントするようになった(但しホームランボールは打った選手への記念として渡すために回収される)。毎年8月15日の第2試合開始前に育成功労賞の授賞式がある。また野球殿堂の特別表彰授賞式を行うことがある。8月15日は終戦の日のため、毎年この日は正午に選手、審判員、観客一同で1分間の黙祷を行うことになっており(サイレン鳴響も行う)、試合は一時中断する。なお実際はインプレー中(打球が飛んでいる等)のケースを避けるために正午より少し前からプレーが中断され、この間に場内放送でスタンドの観客にも黙祷への協力を求める。なお、正午の段階で試合前の場合は、正午ではなく試合開始直前(両チーム挨拶の前)に行う場合がある。例として第92回大会(2010年)の沖縄の興南対高知の明徳義塾戦、第96回大会(2014年)の大阪の大阪桐蔭対島根の開星戦、第98回大会(2016年)の鹿児島の樟南対埼玉の花咲徳栄戦・以上3試合に於いて、正午を過ぎてから黙祷が行われた。2016年の第98回大会第3日目第2試合では山梨学院と長崎商が対戦したが、試合時間が長崎に原爆が投下された8月9日の11時2分を挟むことから、両校関係者が試合中(応援団は1回表終了後、選手は1回裏終了後)に黙祷を行った。高校の野球部が全国高等学校野球選手権大会に出場すると通常は同校の吹奏楽部が応援に参加する。2016年7月、秀岳館高等学校の吹奏楽部が吹奏楽コンテストの南九州大会と同校野球部の第98回全国高校野球選手権大会初戦が同じ日程(8月12日)であることが明らかとなったため、職員会議で「生徒の意向を尊重する」という結論が出され、3年生の吹奏楽部員6名を中心に話し合いがもたれて甲子園の応援に加わることとなった。吹奏楽部は8月1日の熊本県予選で金賞を獲得したが、甲子園応援のために南九州大会には出ないことを伝えての予選出場となっており、また甲子園応援を選んだことが美談として報じられたことに対して批判が噴出するなど大きな議論となった。大会終了後、基本的に上位進出校の3年生選手を集め、国際親善を主目的とした海外遠征チームが組まれる。行き先は主にアメリカ(韓国、ブラジルへの遠征実績もあり)で、2006年以降はアーバンユース・アカデミー(カリフォルニア州コンプトンにあるMLBの野球振興・選手育成機関)との対戦が組まれている。選手及びコーチングスタッフは、帽子マークは「J」、胸文字は「JAPAN」、袖に日章旗という、数十年間変わっていない簡素なデザインのユニフォーム(白及びグレー地)を着用することが多いが、過去には試合により各校のユニフォームの袖に国旗を縫いつけたものも併用したことがある。また背番号は1(優勝投手)から投手→捕手→内野手→外野手の順に振り分けられる(つまり投手は背番号がほぼ一ケタ、野手は背番号が必ず10番台となる)。海外遠征の代わりに、真剣勝負の場であるWBSC U-18ワールドカップもしくはBFA U-18アジア選手権大会に出場する年もある(その場合、選手権不出場校の選手や2年生以下の選手が選ばれたことがある)。この場合、2011年アジア選手権・2012年世界選手権は社会人他アマ代表と同一の、2013年世界選手権は同年のWBC日本代表と同一の、2014年アジア選手権以降は侍ジャパンのユニフォームを着用する。様々な感動的なドラマを生み、思いもよらない結末を迎える事から「甲子園には魔物が棲む」と言われている。長い歴史を持つ大会であるゆえに『球史に残る』とされる試合は多く、以下は一例である。全国高等学校野球選手権地方大会内の各都道府県の項や、中継を行う各放送局の項も参照。1953年(第35回大会)からNHKがテレビによる中継を始めた。基本的に総合テレビのみで18:00まで中継するというスタイル(国会中継のため、NHK Eテレ(教育テレビ)に差し替えられたケースもある)であった。しかし、1974年(第56回大会)準々決勝の東海大相模対鹿児島実業戦が延長戦となり、テレビ中継の放送予定時間を大幅に超えたため、試合途中の18:55で中継放送を打ち切った(鹿児島地区のみ18:59まで延長)。その直後からNHKに対して視聴者から中継打ち切りに対する抗議が殺到し、天気予報とそれに続く『7時のニュース』終了後に中継を再開した。これを受けて、NHKでは翌1975年(第57回大会)から現在のように総合テレビとNHK Eテレ(教育テレビ)のリレー中継方式で完全生中継を行うようになった。但し、1998年(第80回大会)は編成の都合上、一部日程において午前中のNHK Eテレ(教育テレビ)へのリレー時に15分間の中断が存在した(当該試合出場校の地元局では中継を続行)。地上デジタル放送開始以降は、イベントリレー機能を利用してリレー時の案内を実施している。現在は全試合アナウンサーと解説者1名で実況しているが、1980年代(遅くとも1984年)から1998年までは初戦のみ両校関係者をゲストとして招き、4人体制で中継を行っていた。初戦では学校紹介のVTRが放送され、主に学校所在地の市区町村を中心に紹介している。高校野球関係者が入った年に行われる野球殿堂入り表彰式は、民放とは異なり映像を映さず、実況でもどういう表彰かは明言しない。2010年まではNHK衛星第2テレビジョンでも開会式、準々決勝、準決勝、決勝・閉会式のみ放送していた。なお、小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは、東東京・西東京・沖縄のそれぞれの代表出場校の試合も放送していた。2015年から全試合でリアルタイム字幕放送、5.1サラウンドを実施。海外向けのNHKワールド・プレミアムでも準決勝、決勝・閉会式を放送している。録画での時差放送(ディレード)となる場合と生中継となる場合があるが、近年は編成の都合上、時差放送で行われることが少なくない。2011年・2012年は東日本大震災に伴う節電・省エネルギーのため、第1試合は3試合以上行う場合(開会式日は除く。2011年は準々決勝・準決勝も含む)は8:00開始となったため、平日に総合テレビで中継される際は冒頭15分間の生中継は行わない。また通常は(選抜も含め)決勝戦は総合テレビでの完全中継であるが、この2年間は決勝戦が午前中の開催となったため、試合が11:54以後も続いている場合は総合テレビの定時枠(正午のNHKニュース、連続テレビ小説午後の再放送など)確保のため、通常日と同じくNHK Eテレ(教育テレビ)へリレーされ、13:05以後も試合が続いていれば再び総合テレビに戻る(国会中継が行われる場合はNHK Eテレ(教育テレビ)で継続して放送する)。2012年はロンドンオリンピックの録画中継(8:15)の為、大会前半はNHK Eテレ(教育テレビ)で8:00から放送された。ラジオ中継の歴史は古く、戦前の1927年(昭和2年)に当時の大阪中央放送局が初の実況中継を行っている(これがスポーツ実況中継の始まりでもあった)。現在は原則として、日本国内向けにラジオ第1放送で全試合を中継。放送時間は4試合日の場合、8:05 - 18:20(2012年の場合。時間は変更の場合あり)。IPサイマル配信「NHKネットラジオ らじる★らじる」でも同時配信される。テレビとは異なり、平日は11:50から正午のニュース終了(12:20)まで、土曜日と日曜日は11:55から正午のニュース終了(12:15)まで中継が一時中断するほか、毎正時ごろのニュース挿入による中断もある。また、8月9日の長崎平和祈念式典と8月15日の全国戦没者追悼式を放送するため高校野球中継は一時中断する。また、放送時間終了時に試合が続いている場合はそのままラジオ第1で時間を延長して放送するが、18:50からニュース終了まで中継は中断する。ニュース終了後も試合が続いている場合は、ニュース終了後に中継を再開する(中断中に試合が終了した場合は、ニュースの中で結果のみ放送する)。総合テレビでは、各地方大会の決勝戦(一部地域では準々決勝・準決勝も含む)を放送している。なお、関東・中京・近畿の各地区では総合テレビ・NHK Eテレ(教育テレビ)で地域を分担して決勝戦を中継している。同日に行われる決勝戦が多い場合一部の試合が録画中継となる。北海道地区では南北海道大会・北北海道大会ともに全道向け放送を行うが、中継試合が同日に重なった場合はローカル放送へ変更。札幌・函館・室蘭の各放送局では南北海道大会を、旭川・帯広・釧路・北見の各放送局では北北海道大会を中継する。なお旭川・帯広・釧路・北見の各放送局では南北海道大会、札幌・函館・室蘭の各放送局では北北海道大会の試合経過速報も随時伝えている。ラジオでは、各地の地方大会も生中継している。また、テレビ朝日系列各局と朝日新聞資本がある一部のテレ朝系以外の放送局およびABCラジオでは7月中旬頃(ABCラジオは7月1日)から朝日新聞の大会CMが放送される(台詞の違いによる地方大会版と本大会版とが存在)。バックのBGM「栄冠は君に輝く」は当初は学生の混声合唱であったが21世紀になってからはハウンドドッグ、サーカス、森山良子、夏川りみ、小椋佳らイメージアーティストが歌うようになった。2011年以降は日本各地の高校生による合唱・演奏に変更された。テレビ版の映像は前年度の本大会(年度により地方大会も)の模様をフィルム撮影したものを使っている。ナレーションは、2014年まで小林清志が務めていた(テレビ・ラジオ共)。2015年はテレビCMの新たな趣向として、同志社香里高校ダンス部員(女子)らの出演、Dream5の「栄冠は君に輝く」歌唱による「ダンス編」が制作された(本大会開催期間中は従来の作りのテレビCMも併せて放送)。2016年は「ダンス編」の第2弾を放送(従来の作りのテレビCMはなし)。一部のケーブルテレビでも、都道府県予選大会(主に放送エリア内の球場・学校の試合)を中継しており、近年は地域密着を掲げるケーブルテレビのコンテンツのひとつとなっている。

出典:wikipedia

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