入佐町(いりさちょう Irisa-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧日置郡伊集院郷入佐村、日置郡上伊集院村大字入佐、日置郡松元町大字入佐。郵便番号は1738番地と1739番地は899-3206、その他は899-2706。人口は353人、世帯数は170世帯(2010年2月末現在)。永吉川支流永田川上流域、鹿児島市の最西端に位置する。町域の北方には日置市伊集院町恋之原、同市伊集院町古城、南方には日置市吹上町永吉、平田町、西方には日置市日吉町吉利、日置市吹上町永吉、東方には直木町がそれぞれ接している。地内字上の前の松山原にある旧大鳥神社跡から弥生式土器、磨製石斧が発見され、口ノ坪からはこれらに加えて古墳期の土師器、軽石製人形などが出土されており、古くから直木町とともに集落が付近にあったことがわかる。古くは平安時代に納薩郷(「日本地理志科」では「ヌサチ」、「地名辞書」では「イリサ」と読む)が当地にあったとされている。戦国期には名田名となり、入佐名と称していた。江戸期には薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちで、村高は「郡村高辻帳」及び「天保郷帳」ともに476石余、「旧高旧領」では511石余であった。天保期の「入佐村竿次帳」では門数は12であった。村内は上の前、大下、下原の3つの字に分かれていた。これらの3集落は閉鎖的で、共同体意識が強かったため、郷中山の管理などの慣行や旧来の風習、伝統が第2次世界大戦後まで残っていた。1889年(明治22年)には町村制が施行されたのに伴い、伊集院郷の南部の地域より上伊集院村が成立し、江戸期の入佐村は上伊集院村の大字「入佐」となった。その後1960年(昭和35年)に上伊集院村が町制施行及び改称し、松元町となり、松元町の大字となった。2001年(平成13年)に入佐字滝ノ元の一部が直木字永尾の一部となり、日吉町大字吉利字春ヶ迫の一部を入佐字平木場に編入し、入佐字平木場の一部が日吉町大字吉利字春ヶ迫の一部となった。2004年(平成16年)には松元町が鹿児島市に編入されたのに伴い、それまでの大字入佐は鹿児島市の町名「入佐町」となった。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。