アルティガス県()は、ウルグアイの北端に位置する県。1万1928平方キロメートルに7万8019人が暮らしている。県都はアルティガス。県名は独立戦争中、ウルグアイ川東岸に住む人々を束ねた(1764年 - 1850年)にちなみ名付けられた。彼はこの地域でスペインと戦った。制約のない民主主義、連邦制、土地改革を推進しようとする彼の思想は、ブエノスアイレスの支配階級らと相反するものだった。彼は現在のウルグアイを含めたアルゼンチンの州の組織、リーガ・フェデラルを率いたが、この地域での戦争にはスペイン、ポルトガル(後にブラジル)、アルゼンチンが介入し、ポルトガルの侵攻を知った彼はパラグアイに逃れて1850年に亡くなった。彼はウルグアイで国民的英雄として崇められているが、彼の急進的で革命的な思想は反映されていない。普通選挙と子どもの授業料無償化は数十年前に実現したが、土地改革は未だ行われていない。北と東でブラジルと、西でアルゼンチンと、南でサルト県と、南東でリベラ県とそれぞれ接する。ブラジルとの国境の一部には係争もあるが、ラテンアメリカ諸国の多くの領土問題とは異なり近年の両国の友好関係には影響を及ぼしていない。中部と東部は玄武岩のケスタ地形で、クアライ川河岸に堆積平野が広がっている。ベレン山地などの山地もいくつか見られる。西部は沖積平野となっている。年平均気温は19℃以上と国内で最も高い。年間降水量は1400mm。県は法の制定に伴い、1884年10月1日に設立された。ウルグアイ史上特筆すべき出来事であるマソリェルの戦いは、アルティガス県とソルト県の県境に位置し、ブラジル国境にも近いマソリェルで起こった。アルティガス県では特殊な気候条件を生かし、ベリャ・ウニオン市を中心とした穀倉地帯が形成されており、青果、サトウキビ、コメなどが栽培されている。その他の地域では畜産が基幹産業となっている。宝石も産出されるため、アルティガス市近郊では宝石加工業も盛ん。アルティガス県はウルグアイで最も平均所得の低い県である。2004年の国勢調査時点で、県内には7万8019人、2万1907世帯が住んでいる。一世帯あたりの平均人員は3.2人で、女性100人に対し男性は100.4人いる。人口1000人以上
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。