ルベン・フィリペ・マルケス・アモリム(Ruben Filipe Marques Amorim, 1985年1月27日 - )は、ポルトガル・リスボン出身のサッカー選手。アル・ワクラSC所属。ポジションはミッドフィールダー。同胞のティアゴ・メンデスのようにセントラルMFとして守備的にも攻撃的にも両方プレーが出来、アモリムはさらに右SHや右SBとしてもプレーする。2000年からSLベンフィカのユースチームに所属。2002年にCFベレネンセスのユースへ移籍し、2003年にトップチーム昇格。12月14日のをホームに迎えた試合で、試合終了残り1分での出場がスーペル・リーガデビュー戦、チームは2-0で勝利した。以降はユースとトップ両方の試合に出場し、2005-06シーズンからは完全にトップチームへと以降していった。2007年夏になると、ユース時代を過ごしたSLベンフィカを始めSCブラガ, FCポルトのポルトガル国内のみならずトッテナム・ホットスパーFC, トゥールーズFC等の国外のクラブも興味を示したが、アモリム本人は残留を希望し、またクラブ側も入札を拒否した。このシーズンは29試合2491分出場し、8位でフィニッシュした。2008年4月、ベレネンセスとの契約が終了したアモリムはフリーエージェントでSLベンフィカに移籍した。1年目の2008-09シーズンからレギュラーとしてプレーすると、11月23日のアカデミカ・コインブラ戦で移籍後初ゴールを決め2-0で勝利した。2009-10シーズン、チームは実に5シーズンぶりとなるリーグとタッサ・ダ・リーガをするも、新加入のハビ・ガルシアとラミレスの影響で24試合中スタメン10試合に減少、その少ない時間の中で顕著なプレーを見せ、優勝に貢献した。2010-11シーズンは、ジョルジェ・ジェズス監督の下でレギュラーとして再びプレーしていたものの、2011年1月19日に両膝の手術のため数ヶ月欠場することを余儀なくされた。2011年10月初期、ポルトガル代表に招集中に、"チームはたった1人の代表選手なしで殆どの試合をしている"と自国人をあまり起用しないジェズス監督を批判した。12月のリオ・アヴェFC戦では、数分間ウォーミングアップをしても使われない苦境にますます嫌気が差し、さらに試合後にベンチの選手としてトレーニングすることを拒否したため懲戒処分を受けた。2012年1月30日、翌2013年6月までの期間でSCブラガへ貸し出された。ポルトガル代表としてオランダで開催されたUEFA U-21欧州選手権2007に出場した。最終的に5位決定戦でイタリアに敗れたため、翌年の北京オリンピック出場は出来なかった。2010年5月10日、当初は2010 FIFAワールドカップの23名に選ばれず、6名のバックアップメンバーとしての登録だった。しかし、ナニが左鎖骨の怪我で離脱したため、追加招集という形ながらも、2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。6月15日のコートジボワール戦で試合終了残り5分のところでラウール・メイレレスに代わり出場し、A代表デビューを果たした。
出典:wikipedia
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