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東郷町藤川

東郷町藤川(とうごうちょうふじかわ Tōgō-Chō Fujikawa)は、鹿児島県薩摩川内市の大字。旧薩摩郡東郷藤川村、薩摩郡上東郷村大字藤川、薩摩郡東郷町藤川。郵便番号は895-1102。人口は380人(2010年4月末現在)。面積は29.11Kmである。「藤川」という地名は字域内を流れる川内川水系田海川の上流を指す別称である「藤川」に由来する。薩摩川内市の北部(東郷地域)、川内川水系田海川上流域に位置している。町域の北方には紫尾山系の山が連なっておりそれを挟んで阿久根市鶴川内、出水市野田町上名、高尾野町柴引、南方には薩摩川内市東郷町宍野、東郷町鳥丸、西方には薩摩川内市田海町、城上町、東方にはさつま町泊野がそれぞれ接している。字域の中央を南北に川内川水系田海川が流れ、それに沿った形で鹿児島県道46号阿久根東郷線が通る。県道46号は1973年に県道に指定されて以降も横座峠部分が開通していなかったが、1997年3月31日に横座トンネル開通した後は交通量が増加傾向にある。字域内には菅原道真が祀られている藤川天神(菅原神社)が所在する。「三国名勝図会」によると道真は大宰府から逃れこの地に隠栖しここで亡くなったという伝説がある。小字は小平、久留須、轟木、堂ノ下、轟宇都、庵袋、上原田、中牟田、鎧田(あぶんだ)、原田(はつのだ)、現王、井料、下牧野、上牧野、鬼川内(おいごつ)、中田、下川原、上川原、桑原田、北迫、大丸甲、大丸、管ヶ谷、永山、登尾、甑ヶ谷、内野、鶴原、砂原、寺川内、樋之口、永野、田代、井手口、西原、鞘之段、森園、上口浦川内、内平、善見、管ヶ谷、野ノ瀬戸、梶原、北野、榎段、津田川内、曲迫、粢田、津田、花ノ木、倉ノ谷、山神、三ツ俣、勘兵ヱガ迫、滑り、小山、楪、四方白、中島、戸ノ尾、尾口、前田、楠迫、五郎屋敷、梟段、小塚ノ段、砂元、藤之元、永灰、戸屋、屋敷ヶ段、小松、管牟田、芭蕉田がある。「三国名勝図会」によると藤川は古くは太宰府天満宮(安楽寺)領であったとされ、地内に寺領を管掌する治所があったであろうと記されている。戦国期に行われた九州の役(島津征伐)により、大口から川内に至る通路上にあった東郷は豊臣秀吉の軍によって荒らされ、これにより藤川天神の社殿や神宝、文書が焼失している。藤川という地名自体は戦国時代末期頃から近世の初頭までの間に作成された「出水公方向用途支配注文」に「藤河分六町 一貫文」と見えるのが初見であるとされる。江戸期には薩摩国薩摩郡東郷(外城)のうちの藤川村となり、村高は寛文4年の「郡村高辻帳」及び「天保郷帳」では314石余、延享頃の「三州御治世要覧」では414石余、「旧高旧領」では431石余と記されている。当時寺社には藤川庵跡と伝える薬師堂、観音堂、香積寺跡と伝える地蔵堂の他に藤川天神などがある。藤川天神はのちに正保4年、延宝7年、文化12年、明治8年に修復されている。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、東郷のうち5村の区域より上東郷村が成立し、江戸期の藤川村は上東郷村の大字「藤川」となった。1909年(明治42年)には地内の現王神社3社及び山津見之神等が藤川天神に合祀された。1952年(昭和27年)に上東郷村が改称及び即日町制施行し、東郷町の大字となり、1957年(昭和32年)の下東郷村の分割合併の際には下東郷村大字田海の一部(寺川内・井川内集落、人口63人、面積4.34Km)が藤川に編入された。2004年(平成16年)に東郷町は川内市をはじめとする1市8町で新設合併し薩摩川内市が成立。大字名については法定合併協議会にて合併時に「従前の町名を従前の大字に冠したものをもって、大字とする。」とされ、旧町名である「東郷町」を従前の大字名である「藤川」に冠し、薩摩川内市の大字「東郷町藤川」となった。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

出典:wikipedia

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