1991年サンマリノグランプリ(1991 San Marino Grand Prix)は1991年のF1世界選手権第3戦として4月28日にアウトドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリで開催された。スタート時には雨が降っており、フェラーリのアラン・プロストがフォーメーションラップ中濡れた路面に足をとられてスピン、そのままエンジンが停止してスタートできなくなる信じられないようなアクシデントが発生した。スタート後にウィリアムズ・ルノーのリカルド・パトレーゼがトップに立ち、その後マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナと、ティレル・ホンダのステファノ・モデナが続く展開となった。その後スタートを失敗し中段に落ちたウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルが他車と接触しスピンしてリタイア、またベネトン・フォードのネルソン・ピケも同じくコースアウトしてグラベルにはまりリタイアした。さらに2周目にゲルハルト・ベルガーに抜かれ4位に落ちたモデナをフェラーリのジャン・アレジも抜きにかかったが、そのままオーバースピードでコースアウトしグラベルにはまりリタイアし、地元のフェラーリが2台ともレース序盤に姿を消すという波乱のレース展開となっし。その後雨のレースを得意とするティレル・ホンダの中嶋悟が、前を行くミナルディ・フェラーリのジャンニ・モルビデリとピエルルイジ・マルティニを抜き、パトレーゼ-セナ-ベルガー-モデナ-中嶋というフォーメーションでレースが展開すると思われたが、15周目に中嶋がギアボックスのトラブルでリタイアし、その2周後にはパトレーゼもエンジントラブルでリタイアした。パトレーゼのリタイアにより、セナ-ベルガー-モデナというホンダエンジン勢での表彰台独占が期待されたものの、41周目にはモデナが中嶋と同じくギアボックスのトラブルでリタイアしてしまう。セナとベルガーは完走扱いがわずか11台という荒れたレースをトラブルもなく走り切り、1位と2位でゴールした。3位には中嶋とモデナのリタイアに助けられる形でスクーデリア・イタリア・ジャッドのJJ・レートが入った。なおJJ・レートにとっては初めての表彰台となった。4位にはミナルディのマルティ二が入り、5位と6位にロータス・ジャッドのミカ・ハッキネンとジュリアン・ベイリーが入った。
出典:wikipedia
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