海北チベット族自治州(かいほく-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置する自治州の一つ。チベット名はツォチャン・プーリー・ランキョンクル (, mtsho byang bod rigs rang skyong khul)。日本語では、中国語名に基づき海北蔵族自治州(かいほくぞうぞくじちしゅう)とも称されている。自治州は地区級の民族区域自治単位の一種で、本自治州は青海省北部に位置する。チベット名の「ツォ (mtsho)」とは、中国名「青海湖」で名高いティショルギャルモ湖 (mtsho khri shor rgyal mo) を、「チャン (byang)」とは「北」を意味し、あわせて「ティショルギャルモ湖の北」を意味する。中国名「海北」は、その逐語訳である。チベット族をこの州の「区域自治」の「主体民族」とするが、回族が区域自治の主体民族である門源回族自治県もある。 青海省東北部に位置し、北から東にかけて甘粛省と省境を接し、南は海東市、西寧市、海南チベット族自治州、西は海西モンゴル族チベット族自治州と接する。海南チベット族自治州との境界には巨大なティショルギャルモ湖(略称は「青い湖」を意味するゴンポ湖 (mtsho sngon po) 。モンゴル名「フフノール」、中国名「青海湖」はこの略称の意訳)が広がる。自治州人民政府は海晏県西海鎮に所在する。新代に現在の海晏県三角城に西海郡が設置され、海晏、剛察地区を管轄したのが、海北州での行政区画の初見である。新末後漢初の混乱期には西海郡は廃されたが、609年(大業5年)に再び西海郡が設置されている。763年(広徳元年)、吐蕃が青海を占拠すると海北州はその版図に組み込まれた。元朝が成立すると吐蕃等等宣慰司都元帥府が設置され海北州を管轄した。明代になると安定衛、阿瑞衛が1378年(洪武8年)に設置されている。1509年(正徳4年)、オイラト人が新疆より青海に移住した際に州域には11旗が設置され、青海欽差大臣の管轄とされ、現在の門源県には大通衛が設置された。1744年(乾隆9年)、衛は白塔に移され、1761年(乾隆26年)には県に昇格した。1953年12月31日海北チベット族自治区が設置され、1955年に海北チベット族自治州と改称した。1960年代には州内に機密都市第9学会が建設され、核兵器の開発・製造が行われた。海北チベット族自治州は3県、1自治県を管轄する。下級の鎮は10、郷は18、民族郷は3箇所ある。
出典:wikipedia
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