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渋谷陽一

渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年6月9日 - )は、日本の音楽評論家、編集者。株式会社ロッキング・オンの代表取締役社長。東京都新宿区出身。明治学院大学経済学部中退。東京都立千歳丘高等学校在学時から『音楽専科』等のロック誌に寄稿し、18歳の時グランド・ファンク・レイルロードのレコード評で音楽評論家としてのキャリアを始める。明治学院大学在学中の1972年、松村雄策・岩谷宏(2011年現在は、主にコンピュータ関連の著述家・翻訳家)・橘川幸夫(2012年現・デジタルメディア研究所所長)らと、ロック雑誌『ロッキング・オン』を創刊。ミニコミ誌としてスタートしたが、1977年に商業月刊誌となる。1970年代半ばからNHKのラジオDJをつとめ、AMの『若いこだま』、FMの『ヤングジョッキー』、『サウンドストリート』などで英米のロックを積極的に紹介。2012年現在も『ワールドロックナウ』でDJを務めている。「ロッキング・オン」は外来思想としてのロックを日本の風土と日常生活の中に根付かせようとする一種の思想運動だったと言える。ロックの思想性にまで踏み込んだ渋谷の言説は、広く洋楽ファンに浸透した。渋谷は時代における先進性を持ったバンドを高く評価するが、その音楽性を固定させたようなバンドは「様式化」という言葉で批判している。例えば、ハードロック(ヘヴィ・メタル)におけるブラック・サバスは評価するが、ジューダス・プリーストは批判する、という具合である。これについては松村雄策との対談の中で「サバスは好きだけどジューダスは嫌いというのは世間は納得しない」とからかわれている。かつてNHK-FMで年末に放送された、渋谷がDJを務めた『ロック大賞』という番組では、毎年レッド・ツェッペリンが1位であったため殿堂入りという特別扱いになった。レッド・ツェッペリンとビートルズ、プリンスに関しては盲目的なファンという姿勢をくずさない。ライナーノーツを数多く執筆しているが、原稿の管理に無頓着で、単行本『ロック大教典』出版の際には読者に今まで書いたテキストを送ってほしいと告知し、実際に送った人は協力者として巻末に記載されている。2011年現在ロッキング・オン社は『ロッキング・オン』以外にも『Cut』などサブカルチャー全般を対象とした雑誌を発行している。新雑誌の立ち上げに際しては編集長として積極的に関わることが多く、その手腕も高く評価されている。「映画」ジャンルにはとくに積極的に関わっており、黒澤明・北野武・宮崎駿・押井守らに直接インタビューをおこなっている。本人は評論家業よりも出版社の経営者としての立場を重視しており、経営者の方が面白いとも公言している。「産業ロック」という言葉を日本で初めて使ったのは、渋谷である(1979年ごろ、NHK-FMのラジオ番組『ヤングジョッキー』において)。渋谷は、当時日本やアメリカで人気のあったジャーニー、フォリナー、スティクス、REOスピードワゴンらを産業ロックと呼んだ。同時期にはアメリカでも、産業ロックに対応する言葉として「ダイナソー・ロック」(恐竜ロック)という言葉がさかんに用いられていた。渋谷は「ひとつひとつのアヴァンギャルドな試みが積み重なって音楽は進んでいく。そんな努力がない限り、音楽は動脈硬化するだけであり、産業ロックとはその動脈硬化なのである」「ロックのこれまでの試行錯誤の歴史を全て御破算にしてしまうような不安を感じる」と指摘している。渋谷は産業ロックの特徴について、長髪にジーンズ・Tシャツといったファッション、類型的なメロディ・大げさなアレンジで、アヴァンギャルドでない音楽性、管理されたマネージメント・システム等を挙げている。若いとき、自身のラジオ番組にゲスト出演した浜田省吾と議論が白熱し浜田が激怒したことがある。浜田に「結局あんたたちゃあ、人の作ったものにケチつけてメシ食ってるんでしょう! この三流評論家が!」と面と向かって毒づかれ、これに対して渋谷は「はい、そうですよ」としか答えられなかった。しかしながら、その後渋谷は自身の発刊する音楽誌で何度も浜田の特集を組むなど、今日に至るまで長きに渡り浜田を支援し続けている。渋谷自身、プライベートでも付き合いがある唯一のアーティストと述べている。B'zをはじめとしたビーイング系のアーティストを自社の雑誌であまり取り上げないことから、ビーイング嫌いのイメージがあるが、渋谷本人はそれほど悪い印象をもっていない。ビーイングの長戸大幸とは旧知の仲で、「業界の中でも数少ないウマの合う人物」と著書に書いている。ただし「嫌いではないが、好きになれない」という発言もしている。かつて制作に関わっていたテレビ東京の「PVTV」では、BeingGIZAがスポンサーで、ビーイングのアーティストのピックアップ枠もあった。雑誌『VIEWS』でビーイングの批判的な記事が出たときには、擁護コメントを発表している。後日、松村雄策との対談『渋松対談』で「ビーイングから100万円くれないかなー」と言ったところ、ビーイングから雑誌『BRIDGE』への広告掲載オファーがあったという。

出典:wikipedia

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