第61回国民体育大会(だい61かいこくみんたいいくたいかい)は、2006年に兵庫県の神戸市を主な会場として開催された。夏季・秋季大会のスローガンは「"ありがとう" 心から・ひょうごから」。大会マスコットは「はばタン」(スキー競技会のみ「ゆうまちゃん」)。兵庫県での国体開催は50年ぶり。冬季大会は1月28日にスケート・アイスホッケー競技会「氷都とまこまい国体」(北海道苫小牧市)が、2月19日にスキー競技会(群馬県片品村他)がそれぞれ開幕。夏季・秋季大会は、「のじぎく兵庫国体」として9月30日に神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で開幕(一部大阪府能勢町と岡山県岡山市の旧御津町の分離開催あり)。ノジギクは兵庫県の県花。10月10日に天皇杯・皇后杯が授与する都道府県が決定された。この大会では国体史上初めて夏季大会と秋季大会とが一本化され、参加人員を縮小、国体を目的にした新規施設の建設をせず既存施設を活用するなど簡素化・コスト削減がなされた。また日本国籍がない永住外国籍選手や中学3年生の参加が認められた。これらは日本体育協会が2003年に定めた「国体改革」を目指したものである。例年、夏季・秋季大会の開会式と高校野球の会場への入場は有料だったが、この大会では全競技入場料を無料とした。これは、11年前の阪神・淡路大震災に各地から寄せられた善意に対する、兵庫県民からの感謝の気持ちとされた。2006年10月14日から16日まで、第6回全国障害者スポーツ大会「のじぎく兵庫大会」が開催された。※は公開競技今大会より、サッカー男子の出場区分が「成年男子:17歳以上」「少年男子:16歳以下」に改められた。レスリング少年男子84kg級は網野高3年の永田裕城が前年の74kg級と併せて前人未到の2階級高校三冠を達成した。ボクシング少年男子ライトフライ級は興國高3年の井岡一翔が史上3人目となる高校六冠を達成した。高校硬式野球は阪神甲子園球場がプロ野球などの試合日程の都合から使用されず、また、各市町村の開催バランスを取って高砂市野球場で行われた。この年の夏の甲子園大会での活躍で人気となった早稲田実業の斎藤佑樹投手などの出場で、試合前から高砂市に問い合わせが殺到。早稲田実業の試合には連日観戦客の徹夜組も登場するなど試合前日から長蛇の列ができ、当日も観客が殺到し多くの警備員による厳戒態勢のもと異例の入場整理券が発行され入場制限が行われるなど国体史上稀にみる盛り上がりを見せた。さらに決勝戦は37年ぶり引き分け再試合となったこの年の甲子園大会決勝戦の再現となる早稲田実業対駒大苫小牧の試合となり、盛り上がりに拍車をかけた。結果は1対0で早稲田実業の勝利。クレー射撃会場の岡山県クレー射撃場(岡山県岡山市)は、前年の「晴れの国おかやま国体」でもクレー射撃会場として使用されており、国体史上初の2年連続同一会場での開催となった。キャンペーンソング「はばタンカーニバル」は楽曲のJASRAC登録を行わずに、のじぎく兵庫国体実行委員会自身が著作権を管理しており、また著作権フリーという扱いになっている。国体の開会式および閉会式では開催地の県旗を掲揚・降納する際に都道府県民歌が演奏されるが、兵庫県では1947年(昭和22年)に制定された「兵庫県民歌」の存在が遅くとも1960年代後半に失われており(廃止の事実は確認されていない)、今大会の開催時には「未制定」とするのが県の見解であったため代用曲として県政広報番組『週刊ひょうご夢情報』の主題歌であった「ふるさと兵庫」(作詞・作曲:後藤悦二郎)が演奏された。国体での演奏後、同曲は県内外で再評価され県主催の各種行事において“事実上の県民歌”のような扱いで演奏されるようになっているが、県では同曲を「県に関係する楽曲」の1曲としか規定しておらず公的には「県民歌」でも「県民愛唱歌」でもないとされている。開催前に大会マスコットの「はばタン」で大々的にキャンペーンが行われていたが、6月25日の国体100日前イベントで神戸市の三宮センター街をはばタンが行進した際、はばタンが次々とダウンし救護テントに搬送されるというハプニングが起こった。はばタンが手当てを受けている様子を目撃した子供がショックを受けたという。今大会では、国体史上初の正式競技全競技全種目のインターネット映像生中継(はばタンTV)が実施された。但し、体操等の一部の競技のBGMは著作権法の関係で放送できず、その場合は「はばタンカーニバル」など著作権が発生しない曲、もしくは無音に差し替えられた。又、高校硬式野球の試合が行われた際に予想以上のアクセスがあり一時つながりにくい状況になった。今大会に使われる表彰状には、地元特産の杉原紙が使用された。
出典:wikipedia
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