水口細工(みなくちざいく)は、現在の滋賀県甲賀市で作られていた細工物の総称。干瓢(かんぴょう)とともに、東海道の水口宿の名物として知られた。一説には藤原秀郷の末裔の伊予守頼綱の死後、その家族が京都から水口に移住し、山野に自生する葛藤(つづらふじ)を編んで細工物を作ったことが始まりという。江戸時代の水口は、加藤家の城下町であり、また東海道の宿場町(水口宿)であったため、藩の御用を受け、様々な献上品として、また旅人の土産として流通した。明治時代になると、日本国外への輸出も始まり、更なる盛況を呈したが、戦後は従来の藤細工(ふじざいく)だけでなく、経木細工(きょうぎざいく)や檜細工(ひのきざいく)なども登場した。石油化学製品の普及により、水口細工の需要が伸び悩む中、1970年(昭和45年)に水口細工(藤細工)の伝承者が亡くなり、水口における水口細工の伝承は途絶えた。古来より、伊勢神宮の式年遷宮に神宝として献上されていたことから、水口での伝承が途絶えた後、川越市の神立三之助が竹藤細工の技術を応用して水口細工を再現し、1993年(平成5年)の式年遷宮にも献上した。2000年(平成12年)に、水口在住の有志により水口細工復興研究会が設立され、先人の作品の調査、関係者への聞き取り調査、竹藤細工技術者との情報交換などを通じて、水口細工の復興に取り組んでいる。
出典:wikipedia
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