諏訪 頼満(すわ よりみつ)は戦国時代の武将。信濃の戦国大名諏訪氏の当主。諏訪政満の子で、諏訪頼重の祖父。諏訪政満の次男。文明15年(1483年)1月8日、一族の諏訪継満(大祝家)・金刺興春(諏訪下社金刺氏)・高遠継宗(高遠氏)の反乱(文明の内訌)によって父政満と兄の宮若丸を殺されたため10歳で家督を相続した。成長して永正15年(1518年)に金刺興春の子・昌春を萩倉要害に攻めて甲斐に追放し、高遠継宗の子・頼継を降伏させて諏訪地方一帯を統一し、さらに昌春を助ける甲斐の武田信虎とも戦う。享禄元年(1528年)には国境の神戸境川(長野県諏訪郡富士見町)において信虎勢を撃破し、積極的に領国を拡大していった。このように諏訪氏の最盛期を築き上げた頼満は、「諏訪氏中興の祖」と言われた。享禄3年(1530年)4月18日、嫡男頼隆が頼満に先立って31歳で急死、天文3年には嫡孫の頼重に家督を譲って出家して碧雲斎と名乗る。享禄4年(1531年)には甲斐の国人領主らを後援した河原辺合戦(山梨県韮崎市)で敗退しており、天文4年(1535年)には信虎と和睦する。信虎の娘を頼重に娶わせてともに小笠原長棟を攻めた。天文8年(1539年)11月、背中に出来た腫瘍の悪化によって67歳で病死した。
出典:wikipedia
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