亀海 喜寛(かめがい よしひろ、1982年11月12日 - )は、日本のプロボクサー。北海道札幌市出身。第33代日本スーパーライト級王者。第38代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者。帝拳ボクシングジム所属。入場曲はMr.Children「終わりなき旅」。札幌商業高校(現・北海学園札幌高等学校)在学中の2000年、インターハイにライト級で出場し、優勝を収めた。帝京大学に進学後の2004年には彩の国まごころ国体成年の部にライトウェルター級で優勝(決勝で、後にプロで日本スーパーフェザー級王者となった岡田誠一を降す)、さらに同年の全日本選手権にもライトウェルター級で出場し、優勝(決勝で、後の世界選手権銅メダリスト、北京五輪出場の川内将嗣を降す)を収めてアマチュア3冠を獲得した。アマチュア通算戦績は69戦57勝 (31KO・RSC) 12敗。2005年11月5日、タイの選手を相手に1回TKO勝ちを収めてプロキャリアを白星でスタートさせた。その後、12連勝(10KO)。2009年10月11日、後楽園ホールにて小出大貴(緑)と対戦し、7回TKO勝利で2009年スーパーライト級での最強後楽園優勝を果たし、日本王座への挑戦権を獲得した。2009年12月5日、日本王座挑戦へのチューンアップ戦として元比国ライト級王者のJR・ソラーノ(フィリピン) と対戦し2回KO勝ちで退けた。 2010年4月12日、同級1位として日本スーパーライト級王者小野寺洋介山(オサム)に挑戦し、9回TKO勝利で王座獲得。この試合が評価され5月6日には東日本ボクシング協会の平成22年4月度月間最優秀選手賞を受けた。2010年7月20日、後楽園ホールにて同級5位の塩谷智行(レパード玉熊)との初防衛戦を行い4回TKO勝利で初防衛に成功した。2010年10月24日、両国国技館にて元WBA世界ライト級王者ホセ・アルファロ(ニカラグア)とノンタイトル10回戦を行い、6回KO勝ち。2011年2月3日、インフルエンザA型感染症によるドクターストップで、2日後に予定されていた長瀬慎弥との日本スーパーライト級タイトルマッチをキャンセル。お詫びとして王座返上することを発表した。2011年6月4日、後楽園ホールにてホエル・デラ・クルス(フィリピン)と対戦し2回KO勝ちで日本タイトル返上後の第1戦を白星で飾ると同時にウェルター級へ転向する事が明らかとなった。2011年10月1日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスMGMグランドホテル&カジノにて西岡利晃対ラファエル・マルケスの前座で登場し、ヘクター・ムニョス(アメリカ)とウェルター級10回戦を行い、6回1分39秒TKO勝ちで、自身初となる米国本土での試合をKO勝利で収めた。 2011年12月3日、後楽園ホールにて前フィリピンGABスーパーライト級王者のエウセビオ・バルアルテ(フィリピン)とウェルター級8回戦を行い、5回に左ボディーでダウンを奪うなど終始相手を圧倒し3-0(79-73、78-73、78-74)の判定勝ちを収めデビュー戦以来からの連勝記録を20と伸ばした。2012年4月16日、後楽園ホールにてアルフレド・チャベス(メキシコ)と66・6キロ契約10回戦を行い、9回に相手をコーナーに追い詰め一気に連打、相手コーナーがタオルを投入しレフリーストップ9回TKO勝利で21連勝。2012年10月6日、アメリカ・カリフォルニア州サクラメントのメモリアル・オーディトリアムでメインで登場。ホルヘ・シルバ(メキシコ)とウェルター級10回戦を行いドロー判定で、デビュー戦からの全勝の記録が途切れた。2013年2月2日、後楽園ホールにてホセ・アルベルト・レアル(メキシコ)と150ポンド契約10回戦を行い、2回1分59秒KO勝利、試合後インタビューで活動拠点を米国に移すことを告白した。2013年6月8日、アメリカ・カリフォルニア州カーソンのホーム・デポ・センターにて元WBA世界スーパーライト級暫定王者ヨハン・ペレス(ベネズエラ)とWBAインターナショナルウェルター級王座決定戦を行う。序盤から手数の多い元暫定王者を相手にペースを掴めないままラウンドを重ね、最終10回まで戦い抜くも0-3(90-100、92-98、93-97)の判定負けを喫しプロ24戦目にして初黒星となった。2013年12月7日、後楽園ホールにて、PABAウェルター級王者でOPBF東洋太平洋ウェルター級1位のティム・ハントとOPBF東洋太平洋ウェルター級王座決定戦を行い、5回53秒TKO勝ちを収め王座を獲得した。2014年4月5日、後楽園ホールにて過去に渡部あきのり(協栄→野口)の持つOPBF王座に挑戦した経験を持つ同級4位の梁正勲(韓国)と対戦し、4回2分22秒KO勝ちを収めてOPBF王座の初防衛に成功した。2014年6月21日、スタブハブ・センター・テニスコートにて元4階級制覇王者ロバート・ゲレーロと対戦するが、0-3(112-116、111-117が2者)の判定負けとなり2敗目を喫した。2014年12月13日、MGMグランドにてオスカー・ゴドイ(アメリカ)と対戦し、4回1分58秒TKO勝ちを収めた。2015年1月8日、日本人として初めてゴールデンボーイプロモーションズと契約した。2015年3月20日、カリフォルニア州インディオのファンタジー・スプリングス・カジノでアルフォンソ・ゴメス(メキシコ)と対戦し、4回にゴメスがヘッドバッドで減点されるアクシデントが発生するも、足を使ったボクシングのゴメスにペースを握られ、反撃の糸口をつかめないまま10回判定負けを喫した。2015年7月7日、OPBFウェルター級王座を返上した。2016年9月10日、ザ・フォーラムにてローマン・ゴンサレス対カルロス・クアドラスの前座でヘスス・ソト・カラスと対戦し、序盤から試合を優勢に進め8回にボディでダウンを奪うと8回終了後にソト・カラスのセコンドが棄権を申し入れて8回終了TKO勝利を収めた。HBOデビュー戦。ニックネームは、スペイン語で「小さな教授」を意味する「MAESTRITO(マエストリート)」。本人によれば「ホセ・ルイス・ロペス(メキシコ出身の元WBO世界ウェルター級王者)のニックネームを拝借した」とのことで、自ら名乗りだしたものが定着したという。2010年10月現在で87.5%という高いKO率を誇るが、それとは裏腹に本人はディフェンスを重視しているという。スポーツ紙のインタビューでも「完璧なディフェンスが完璧なオフェンスにつながる。打たれなければ、攻めに100%比重を置けるじゃないですか。紙一重のところでかわして相手に打ち込んで倒す。まったく触れさせないボクシングが理想ですね」と語っている。自ら「変人」を名乗っているように、日本のボクシングにおける「常識」を疑ってかかるスタイルを貫いている。その結果現在では、普段の構えも日本人ではあまり前例のないL字ガード(左手を水平にし、右手を顎に向けて立てるスタイル)を採用するようになった。本人曰く「L字ガードは肩幅の狭い日本人には通常向かない」が、「自分は骨格がいいし肩幅が広い」ことからL字ガードのメリットを生かせると判断したことが採用の理由だという。
出典:wikipedia
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