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玉鬘系・紫上系

玉鬘系(たまかずらけい)、紫上系(むらさきのうえけい)は、それぞれ『源氏物語』における一群の巻、またそのような分類である。『源氏物語』の第一部(桐壺から藤裏葉までの33帖)において、玉鬘系とは16帖の巻の総称である。残りの17帖を紫上系と呼ぶ。1950年(昭和25年)に武田宗俊によって唱えられ、その後広く使用されるようになった概念である。以下の巻が玉鬘系に含まれるとされる。数字は現在使われている通常の巻序の番号を示している。玉鬘系の巻は、紫上系の巻と比べて一般的に以下のような特徴があるとされている。紫上系の巻は以下である。内容は論者によってさまざまに異なることも多いものの、類似の概念が古くからいくつか唱えられている。以下に主なものを示す。「玉鬘系」(およびこれと並ぶ「紫上系」)という概念を最初に明確な形で唱えたのは武田宗俊である。武田は、源氏物語の第一部(桐壺から藤裏葉までの33帖)を紫上系17帖と玉鬘系16帖とに分けたときに、両者の間には、といった違いが認められ、両者の間にはといった関係が認められる。武田は、これらのさまざまな現象は、『源氏物語』の第一部はまず『「原」源氏物語』とでも呼びうる紫上系の巻だけからなる部分が執筆され、その後に玉鬘系の巻が一括して書かれておおよそ年立に従って紫上系の巻の間に一挙に挿入されたと考えると説明できるとした。これ以後、下記のように、武田説の「玉鬘系が後記挿入された」とする点については賛否分かれたものの、源氏物語の第一部が紫上系と玉鬘系という質的な差異が存在する二つの部分から構成されることは広く承認されるようになった。武田と相前後して、また武田以後、武田説に対しては武田説をそのまま認める立場とともに、以下のような武田説を大筋で認めながらも何らかの修正を加える立場がいくつか現れた。これに対して、以下のような形で武田説を否定的にとらえる以下のような説も存在する。武田は、抜き取ってしまうと物語が繋がらなくなる若菜(上下)巻において玉鬘系の人物が出現することなどから、紫上系と玉鬘系という二系統は藤裏葉巻で終わる源氏物語第一部だけの問題であり、第二部の若菜巻においては両系は合流しており、これ以後の巻には紫上系と玉鬘系という区分は存在しないとしていた。しかしながら、第二部及び第三部においてもといった点が指摘されるようになり、第一部における「紫上系と玉鬘系」と同じであるかどうかは別にして、第二部及び第三部においても「紫上系と玉鬘系」に類する「二つの系統」が存在するのではないかとの指摘も存在する。

出典:wikipedia

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