臨屯郡(りんとんぐん)は、漢朝により朝鮮半島に設置された郡(植民地との見方も存在する)。楽浪郡、玄菟郡、真番郡と共に漢四郡と称される。前108年、衛氏朝鮮を滅ぼした漢朝により幽州刺史部の下に臨屯郡が設置された。15県からなり、その境域はほぼ現在の江原道に該当すると考えられている。郡治の置かれた東暆県(現在の韓国江原道江陵市)は長安を去ること6,138里という。前82年に15県中の9県は廃止となり、残りの6県と玄莵郡の夫租県を合わせた7県は楽浪郡に編入され、臨屯郡は消滅した。※当初は計15県の構成だったという。名前のわかる6県は楽浪郡に編入されたため記録に残ったものである。北朝鮮の学界の定説及び韓国の学界の一部では、漢帝国による朝鮮半島併合の事実はなかったとして、漢四郡の位置が実は朝鮮半島の外部(具体的には通説でいう遼東郡の内部)に存在したと主張する。この説の場合の臨屯郡は、金州半島を中心とした遼東半島の南部に該当する。しかしながら、韓国・北朝鮮以外の中国や日本やアメリカ(臨屯郡#引用文献)の学界では全く認められていない。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。