平佐(ひらさ Hirasa)は、鹿児島県薩摩川内市の大字及び町名。旧薩摩郡平佐郷平佐村、薩摩郡平佐村大字平佐、薩摩郡川内町大字平佐、川内市平佐町。平佐一丁目及び平佐町がある。郵便番号は895-0012。人口は8,548人、世帯数は3,630世帯(2011年4月1日現在)。平佐という地名は古代の「避石郷」の「ひらし」が「ひらさ」に転訛したものという説がある。薩摩川内市の南東部に所在し、平佐川下流域に位置する。字域の北方に天辰町、南方に宮崎町、百次町、西方に鳥追町、横馬場町、東大小路町、東方に田崎町、永利町、百次町に接している。字域の北方に川内川が流れており、それに沿って鹿児島県道394号山崎川内線が通っている。以前は国鉄宮之城線も並走していたが、のちに廃止された。中央部には鹿児島県立川内商工高等学校、西部には薩摩川内市立平佐西小学校、隈之城川沿いには鹿児島県道42号川内加治木線(空港道路)及び鹿児島県道333号川内祁答院線が東西に通る。南部には薩摩川内市立川内南中学校が所在しており、鹿児島県道336号山田隈之城線が東西に通っている。平佐という地名は室町期より見え、薩摩国薩摩郡のうちであった。江戸期には薩摩郡平佐郷(外城)のうちであり、村高は「御秘文雑集」及び「天保郷帳」では2,134石余、「旧高旧領」では1,903石余であった。万治の検地の後に平佐川南部の隈之城郷の東手村草原及び権現原が当地に付加された。1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、平佐郷の区域より平佐村が成立し、江戸期の平佐村は平佐村の大字「平佐」となった。1929年(昭和4年)には平佐村が隈之城村、東水引村と合併し川内町が成立し、大字平佐は川内町の大字となった。1940年(昭和15年)には川内町が市制施行し、同時にそれまでの大字平佐は川内市の大字「平佐町」となり、平佐の一部より白和町、鳥追町が設置された。1965年(昭和40年)に一部より横馬場町が設置された。2004年(平成16年)に川内市等が新設合併し薩摩川内市が成立。平佐町は薩摩川内市の大字となった。2014年(平成26年)2月28日に川内駅周辺地区土地区画整理事業が完了し換地処分が行われ、同年3月1日に平佐町及び鳥追町の一部より薩摩川内市の町名「平佐一丁目」が設置された。以下の記述は角川日本地名大辞典 46 鹿児島県 552頁の記述に基づく。市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
出典:wikipedia
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