TAROかまやつ(本名:釜萢 太郎、かまやつ たろう、1970年 - )は、 東京都港区青山生まれのミュージシャンでフジテレビジョンの元社員。2005年5月25日にビクターエンタテインメントよりメジャーデビューし、ピアノ弾き語りの「サラリーマンシンガーソングライター」となった。父に「ムッシュかまやつ」こと、元スパイダース中心人物のかまやつひろしを、祖父に日本のジャズミュージシャン・シンガーの第一人者であるティーブ・釜萢を持つという音楽一家に生まれた。3歳よりクラシックピアノ、音楽理論、作曲法を、日本を代表するクラシック作曲家である黛敏郎に14年間師事する。初めての作曲は6歳の時作った「春」であるとライブのMCで語っていた。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校時代は野球部とピアノレッスンとを共に行っていた。慶應義塾大学入学と同時に、バーやラウンジ等でピアノのアルバイトをするようになる。次第に作詞・作曲活動も再開。その頃よりクラシックよりもポール・マッカートニー、ビリー・ジョエルといった曲やスタンダードジャズの楽曲を多く演奏する様になる。そんな中、自らのライブでもピアノを弾きながら歌うようになっていった。またこの頃、木下博勝と友人になるなど幅広い交友関係を作った。慶應義塾大学卒業時には漠然と音楽家への道も考えたが、父でミュージシャンのムッシュかまやつの「一般社会を一度は見た方がいい。これからの時代は音楽は(サラリーマンの傍らアーティストとして活躍する)小椋佳さんみたいにやる方がいい」という意見を受けフジテレビに入社、サラリーマンとなった。入社して経理局、事業局、広報局、ネットワーク局を経たあと、退職前は編成制作局に所属していた。事業局時代は主にアーティストコンサート運営に従事。石井竜也などのコンサートツアー制作の他、元スパイダースの堺正章、井上尭之、そして父のムッシュかまやつが結成したバンド「ソン・フィルトル」の初の全国コンサートツアーのプロデューサーなどを務めた。広報局ではバラエティ、連続ドラマを中心に、K-1等の格闘技番組、かくし芸大会などの広報担当を務めた。2011年退職。就職後も仕事をする傍ら趣味として作品を作り続け、フジテレビの仕事の傍ら時々麻布十番のライブバーでライブ活動を行っていた。2004年秋に、友人たちと作っていたデモ・テープが関係者の手に渡り、大手レコード会社のビクターエンタテインメントよりメジャーデビューのオファーが来る。その間に父親であるムッシュかまやつは一切介在していないどころか、デビュー前々日に大々的に報じられたスポーツ新聞を見て初めて知ったという。当時在籍していた広報部の部長で、現在同社取締役の遠藤龍之介(遠藤周作の子息)の後押しもあり、会社員と音楽家の二束のわらじを履くことを決意。2005年5月25日マキシシングル「風のわだち」(VICL-35822)で大手レコード会社のビクターエンタテインメントより「サラリーマンシンガーソングライター」としてメジャーデビューした。発売当初はフジテレビの企画モノCDと思われる事を嫌い、フジテレビ社員である事を隠していたが、数々の週刊誌やスポーツ新聞などで次々と記事にされ、6月下旬「めざましテレビ」でフジテレビの社員であると発表された。実際、メジャーデビューはフジテレビにおける仕事とは関係ないものであった。「風のわだち」は、HMVやタワーレコードなどの大手CDショップの予約チャートで最高3位に入るなど前評判が高かった。さらに、発売後の7月下旬には有線リクエストチャートの13位まで上昇するなどヒット作となった。2005年9月16日には初アルバム「ピアノマンの詩(うた)」をリリースした。同時に、老舗の花屋 日比谷花壇のイメージキャラクターに就任し「風のわだち」のカップリング曲「あなたとわたし」がそのイメージソングになる事を発表した。アルバム内の1曲「今日のよき日に」はフジテレビ「めざましテレビ」が推し進めている「39プロジェクト」の「ありがとう」をテーマにしたコンピレーション「Thank You!」(2006年6月7日発売)に収録される事になった。デビュー以来、全国大都市でキャンペーンのミニライブを行ってきたが、最近では国際エイズデーの12月1日にオーチャードホールで行われた毎年恒例の「Act Against AIDS 2005」コンサートに新人コーナーで出演したり、ホテルのジャズライブにゲスト出演したり、日比谷花壇が企画するイベントに多数出演したりと週末を使って地方も含めライブイベントに出演をしている。ワンマンライブも2006年1月の渋谷のJZBratを皮切りに、3月にはBlue Jay Way、8月に渋谷のJZBratと毎回満員の客を集め定期的に行っている。12月には東京以外では初のワンマンコンサートを刈谷市産業振興センターで300名を超える満員の観衆を集めて行った。2007年5月31日には、ラジオ番組を持つなど力を入れて活動してきた札幌時計台にてワンマンコンサートを行った。2006年4月1日よりAIR-G'とFM山陰(V-Air)の2局ネットのラジオ番組「TAROかまやつ ピアノマンの部屋」をスタートした(キー局のAIR-G'は土曜日20:00-20:30 JST、V-Airは1日遅れネットで日曜日20:30-21:00 JST)。「名曲一発勝負」のコーナーは毎回番組内で世界の名曲をTAROなりのアレンジでグランドピアノで弾いてみせている。その音源は携帯電話着うたサイト「GLOBAL EXOTICA」でダウンロード出来るシステムになっている。この番組は2006年8月よりパソコンによるPodCast配信により全国の人が聞けるコンテンツになっている。(FMは2007.3.31終了したが、ポッドキャストは継続)現在放送中のポッドキャスト版「ピアノマンの部屋」では肩の力を抜き、日々起こった話、大好きな野球の話、フットワークを利かしたロケ、エロトーク、そしてピアノ生演奏とTAROの素顔を垣間見ることが出来る。先日記念すべき100回目の放送では、父であるムッシュかまやつがゲスト出演した。2006年末には番組内コーナー「TAROの名曲一発勝負」でTAROがスタジオで弾いた30曲以上の世界の名曲の中から厳選した限定CD「TAROかまやつ ピアノマンの部屋 名曲一発勝負 ピアノセレクション」を制作。番組リスナーの中から抽選で100名にお年玉プレゼントした。店舗流通はしない限定生産CD。ライブ会場で枚数限定で販売されている事がある。音楽プロデューサーの武部聡志がプロデュースし、今井美樹や秦基博、THE ALFEE、トータス松本、一青窈、布袋寅泰、堺正章、井上順、甲斐名都、松任谷由実、森山良子、森山直太朗、Microといった豪華アーティストが多数参加し、2009年2月18日にavex-ioより発売されたムッシュかまやつの70歳記念アルバム『1939〜MONSIEUR』に詞曲「ゆっくりと ゆっくりと」を書き下ろし、歌唱及びピアノ演奏で39年ぶりの親子デュエットを行った。ムッシュかまやつはスパイダース解散後の最初のアルバムとなる1970年発売の『ムッシュ〜かまやつひろしの世界』の収録曲「ムッシュ&タロー」で生まれたばかりのTAROと共演している。TAROは泣き声だけだが。ちなみにムッシュかまやつとその父のティーブ釜萢も、1971年に「ファザー&マッドサン」というコラレーションアルバムをリリースしている。2010年10月9日放送分より、『GOAL』がTBS系列の人気料理番組及びバラエティ番組「チューボーですよ!」のエンディングテーマとして使用されている。2010年11月17日5年ぶりとなるフルオリジナルとなる2ndミニアルバム「KEEP ON」(BEATSISTA)を発売すると発表した。現在「チューボーですよ!」のエンディングテーマとして使用されている『GOAL』も収録されている。高校時代は慶應義塾高等学校硬式野球部に所属し、現在は野球チーム「麻布おもいやり軍」のGMを務める。
出典:wikipedia
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