雪竇重顕(せっちょう じゅうけん、980年 - 1052年)は、中国の北宋の禅僧。雪竇重顕は、遂寧(現在の四川省遂寧市)の人、俗姓を李、字は隠之。儒門を業とする家に生まれ、幼くより家学の薫陶を受けたが、経世儒学に感じ入らず、出家の道を内心望んでいた。24歳の時に父母が相次いで世を去り、人生の無常を感じて出家する。普安院仁銑によって受具の後、大慈寺の元瑩、石門の蘊聡について教相を究め、南遊して雲門宗の智門光祚(ちもんこうそ)に謁し、開悟して、その法を嗣いだ。5年間、雲門宗の祖・文偃に学んで、宗旨の蘊奧を究めた。詩歌文章にも優れて、翰林の才ありと称された。雪竇山に入り、資聖寺に住して門風大いに振るい、雲門宗の隆盛の基礎を築き、中興の祖といわれた。住山30余年、70余人の門弟を養成した。皇祐4年(1052年)6月10日示寂。世寿73。法臘50。諡号は「明覚大師」。雪竇の語録に『雪竇明覚禅師語録』がある。その中の『景徳伝燈録』『趙州録』『雲門広録』等に収録された過去の禅僧が残した百個の公案について自ら偈頌(漢詩)を付した『雪竇頌古』は、後に臨済宗の圜悟克勤によって垂示・評唱・著語を付されて公案集で名高い『碧巌録』となり、その思想は現在に伝わる。
出典:wikipedia
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