マイク・ジョーンズ(Michael "Mike" Jones、1962年6月13日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州ナッシュビル出身のアフリカ系アメリカ人。WWEにおけるバージル(Virgil)のリングネームで特に知られる。バージニア大学を卒業後、プロレスラーとしてデビュー。1986年9月17日にはラシャス・ブラウン("Lucius Brown")の名義でWWFのTVテーピングに出場し、ポール・オーンドーフのジョバーを務めている。デビュー後はジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスのCWAにおいて、ソウル・トレイン・ジョーンズ("Soul Train Jones")をリングネームにベビーフェイスのポジションで活動。1987年1月5日、ビッグ・ババを破りCWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。戴冠中はアメリカ修行時代のターザン後藤やトージョー・ヤマモトらを相手に防衛戦を行い、3月2日にはニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。4月6日には黒人レスラーの大先輩ロッキー・ジョンソンと組んでAWA南部タッグ王座も奪取している。1987年夏、バージル("Virgil")と改名してヒールに転向し、"ミリオンダラー・マン" テッド・デビアスのボディーガードとしてWWFに本格参戦。なお、"Virgil" のリングネームはボビー・ヒーナンのアイデアにより、当時のWWFのライバル団体NWAジム・クロケット・プロモーションズの幹部だったダスティ・ローデスの本名から取られている。以降、主人デビアスのセコンドを務めつつ試合にも時折出場し、ハルク・ホーガンやランディ・サベージとの抗争に介入した。しかし、デビアスの横暴ぶりに耐えかね、1991年1月19日のロイヤルランブルにてデビアスを殴打してベビーフェイスに転向。以降はフルタイムのレスラーとして活動し、1991年全般に渡ってデビアスとの抗争を展開、3月24日のレッスルマニアVIIではロディ・パイパーの援護でデビアスを破り、8月26日のサマースラムではデビアスからミリオンダラー王座()を奪取した。11月27日のサバイバー・シリーズにはパイパー、ブレット・ハート、ブリティッシュ・ブルドッグとのチームで出場し、リック・フレアー、デビアス、ザ・マウンティー、ザ・ウォーロードのチームと対戦している。翌1992年4月5日のレッスルマニアVIIIでの8人タッグマッチでもナスティ・ボーイズのブライアン・ノッブスからフォールを奪い、自チーム(バージル、ビッグ・ボスマン、ハクソー・ジム・ドゥガン、サージェント・スローター)を勝利に導くなど、WWFのプッシュは続いたがブレイクには至らず、以後はネイルズやヨコズナなどヒールのニュー・カマーのPPVデビュー戦におけるジョバーを任されるようになる。1993年も新番組『マンデー・ナイト・ロウ』のジョバー要員となり、1994年8月にWWFを退団した。1996年、WWFを離脱しnWoのスポンサーを演じていたテッド・デビアスの招きでWCWに登場。かつてWWFがNWAを揶揄して彼をバージルと名付けたように、WWFへの面当てとしてビンス・マクマホンのファーストネームであるビンセント("Vincent")にリングネームが変更され、"Head of Security" の名目でnWoメンバーのセコンド役を務めた。1999年3月14日にはnWoのBチーム「nWoブラック&ホワイト」のリーダーの座をかけて、PPV " にてスティービー・レイと対戦したが敗れている。nWo消滅後は、WWFからヘッドハンティングされたビンス・ルッソが仕切る "Powers That Be" のアングルにおいて、シェイン("Shane")と改名してルッソの部下を演じる。このアングルは、当時WWFでビンス・マクマホンが率いていたコーポレーションのパロディであり、シェインの名はビンスの息子シェイン・マクマホンを嘲ってネーミングされた。1999年の末には黒人カウボーイのカーリー・ビル("Curly Bill")に変身し、カート・ヘニングやバリー・ウインダムらが結成していたウエスト・テキサス・レッドネックスに加入。その後はミスター・ジョーンズ("Mr. Jones")の名義でアーネスト "ザ・キャット" ミラーのマネージャーを短期間担当した。2000年にWCWを離れて引退してからは、大学時代に取得した数学の学位を活かし、ペンシルベニア州ピッツバーグにてカトリック・ハイスクールの数学教師に転じた。教鞭を執る一方でインディー団体にも時折参戦し、2005年1月29日にフロリダ州タンパで開催されたリユニオン・イベント "WrestleReunion" では、グレッグ・バレンタイン、ジェイク・ロバーツ、バグジー・マグロー、チャボ・ゲレロ・シニア、ノーマン・スマイリーらと共にバトルロイヤルに出場。2006年3月5日の "World Wrestling Legends" ではリック・スタイナーと対戦した。2010年5月17日、テッド・デビアス・ジュニアのボディーガードとしてWWEのRAWに登場。6月14日の放送ではデビアス・ジュニアとタッグを組み、ゲスト・ホストの俳優マーク・フォイアスタイン()とビッグ・ショーのチームと対戦するなど、短期間ながら16年ぶりのWWE復帰を果たした。WWF時代のテッド・デビアスとのコンビは主人と召使の主従関係だったが、プライベートでの両者は兄弟のように親しい友人同士であり、ジョーンズはデビアスのことをレスラーとしても人間としても尊敬していたという。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。