1973年東京都議会議員選挙(1973ねんとうきょうとぎかいぎいんせんきょ)は、東京都の議決機関である東京都議会を構成する議員(都議会議員)を全面改選するため、1973年7月8日に投票が行われた選挙である。東京都議会議員の任期(4年)が満了したことによる選挙である。東京都議会は1965年に自主解散されたため、これ以降、統一地方選挙より2年ずれる形で選挙が実施されている。なお茨城県議会と沖縄県議会の議員選挙も統一地方選挙では実施されない。この時の選挙では、2年前の都知事選挙で再選を果たした美濃部亮吉都知事の与党である社会党や共産党、新たに美濃部支持に回った公明党を加えた勢力が、どの程度まで伸びるのかが注目された。また、翌年に行われる参院選、1970年代の政治動向を占う選挙としても注目された。そのため、各政党とも、国政選挙並みに力を入れた選挙となった。38選挙区125議席に223名が立候補し、競争率は1.78倍となった。これは過去最低の競争率であった前回(1969年)の2.02倍を下回る数字で初めて2倍を切った。自民党と公明党、民社党の3党は無所属候補各1名を推薦した他、社会党と共産党は、三鷹市で共産党が社会党候補を推薦、青梅市で社会党が共産党候補を推薦し、都議選で初めて共闘態勢を組んだ。投票率:60.74%当初、苦戦が伝えられていた自民党は善戦健闘し、前回選挙(55議席)より4議席減らしたものの現有議席を維持することに成功した。前年の総選挙で躍進を果たした共産党は、順調に議席を伸ばし初めて20議席代の大台に乗せた。一方の社会党は、革新票を掴むことができず、前回議席(23議席)を下回り、共産党に次ぐ都議会第4党に転落した。公明党は、公認候補が全員当選し、改選時より1議席増やした。民社党は苦戦し、現有4議席を半減する結果となった。この結果、美濃部都知事与党(社会・共産・公明)は70議席を確保、都議会における過半数を確保することができた。得票で見た場合、自民党は微増(前回33.0%→34.13%)、共産党は20%台(14.4%→20.21%)に乗せ社會党と肩を並べるに至った。一方、社会党は前回より3%程度減らした(24.2%→20.54%)。また民社党も前回より減少した(4.9%→3.62%)。
出典:wikipedia
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