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真鍋貞成

真鍋 貞成(まなべ さだなり、永禄10年(1567年) - 明暦2年(1656年))は日本の戦国時代の武将。父は第一次木津川口の戦いで織田軍に属して戦死した真鍋貞友(真鍋七五三兵衛)とされる。和泉国淡輪の在地土豪で、500程の水軍衆を率いたとされる。治めていた淡輪の地が雑賀衆の勢力圏と近かったため、永禄年間に、同国内の大津に織田信長の命で移住させられた。信長の死後は羽柴秀吉に属し、その配下の中村氏、蜂須賀氏、堀氏、戸田氏、福島氏などに3000石~4000石程度の禄で仕えた。天正12年(1584年)の秀吉による紀州征伐では雑賀衆に属した淡路国の菅達長の水軍を打ち破っている。文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いにも従軍したが、元和5年(1619年)に仕えていた福島正則が改易されると浪人し、細川忠興に1万石で仕官要請を受けるが、これを固辞している。また、この間に広島のキリシタン13名がローマ法王に宛てた手紙に署名しているので、熱心なキリシタンであったと推測される。後に、徳川秀忠の命で同じ福島旧臣の大崎長行、村上通清(来島通総の弟)らと共に召抱えられ、紀州藩主・徳川頼宣の家臣となった。「織田信長家臣人名辞典」ISBN 978-4642027434

出典:wikipedia

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