君島 一郎(きみじま いちろう、1929年2月27日 - 1996年7月14日)は日本の服飾デザイナー。埼玉県本庄市出身。「日本を代表するファッションデザイナー」などと高く評価する声も多かった。君島一郎によるブランドKIMIJIMAは、いわゆる社交界や上流階級にも好まれ、日本では皇族の愛用者も得た。こうしてファッション雑誌などのメディアでKIMIJIMAブランドが紹介される時には”皇族もおめしになる”といったイメージが添えられるようになり、それにより世の女性の間で”憧れのブランド”との位置づけを得ることにも成功、一時期、日本のオートクチュール界で一大勢力を誇った。こうした成功の中、1995年12月5日、女優の吉川十和子が婚外子の君島明(当時の名。佐藤明から改名、その後さらに君島誉幸と改名)と11月中旬に婚約したことを発表、その一見華やかな結婚がマスコミで話題になった(入籍は'95年12月11日、結婚式は'96年2月)。だがその発表を機にして、息子の明が本妻の君島由希子の子ではないことや、息子にまつわる様々なスキャンダル、君島家の複雑な家族関係・人間関係、兄の立洋と明の異母兄弟間の対立等々が次々に発覚、連日マスコミで大きく扱われるようになり、それらの芳しからぬイメージがKIMIJIMAブランドに常につきまとうことになり、長年をかけて築かれたKIMIJIMAブランドのブランドイメージは短期間で地に落ちることになった。君島のブティック各店は売上が激減、経営は一気に悪化した。1996年7月14日、君島一郎は急死した。君島は莫大な借金を遺したとされ、君島が遺した法人およびブティックは、家族間、特に立洋との様々な争いの後(当時“骨肉の争い”とたびたび形容された)、君島明が相続することになったものの、支払いが滞るトラブルをたびたび引き起こした。結局ブティックも2000年代中に全て閉店となり現在では一店舗も残っていない。法律上の妻(本妻)は君島由希子。君島由希子との間に息子の君島立洋。他の女性との間に君島明(当時の名。佐藤明から改名、その後さらに君島誉幸と改名)。なお、明の実母と一郎の母親が養子縁組したため、明も君島姓。
出典:wikipedia
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