麻生 和子(あそう かずこ、1915年(大正4年)5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)は、随筆家。元総理大臣吉田茂の娘。元総理大臣麻生太郎の母。1915年(大正4年)5月13日、中国の安東に生まれる。父は、吉田茂。母は、吉田雪子である。聖心女子学院を卒業、ローマの聖心女学院を経て、ロンドン大学に留学する。母の雪子の影響もあり、熱心なカトリックの信者となる。洗礼名は「マリア・ドロテア」である。1936年(昭和11年)の二・二六事件では、反乱軍兵士に襲撃を受けていた祖父の牧野伸顕を銃口に身をもってかばったとされている。 1938年(昭和13年)に麻生商店社長の実業家の麻生太賀吉と結婚する。子には、第92代内閣総理大臣の麻生太郎と、寛仁親王妃信子がいる。1941年(昭和16年)に、母の雪子が亡くなる。総理大臣に就任した吉田茂に、ファーストレディ代わりとして随行する。後に、映画「小説吉田学校」やドラマ「吉田茂」があるが、吉田茂の子として重要な役柄として登場するのは麻生和子である。1951年(昭和26年)9月8日のサンフランシスコ講和条約締結の会議に、首相の吉田茂に私設秘書として随行した。1967年(昭和42年)10月20日、吉田茂の死を看取る。前日に「富士山が見たい」という吉田茂の最後の言葉により、麻生和子は抱き起こしたとされている。吉田茂の葬儀は、麻生和子ら親族により東京カテドラルで行われ、後に改めて国葬が行われた。1980年(昭和55年)12月2日に、夫の麻生太賀吉が亡くなる。1986年(昭和61年)11月、勲二等宝冠章を受章する。1993年(平成5年)12月に、著書「父 吉田茂」が、光文社より出版される。1996年(平成8年)、死去する。映画テレビドラマ舞台
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