『真赤な太陽』(まっかなたいよう)は、1967年(昭和42年)5月25日に発売された、美空ひばりとジャッキー吉川とブルーコメッツの楽曲。グループ・サウンズ全盛期であったこの頃、美空ひばりが「ブルー・シャトウ」の大ヒットを飛ばしたジャッキー吉川とブルーコメッツの5人を従えて歌った楽曲。元は『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』という美空ひばり芸能生活20周年記念として製作されたアルバムに収録する為に製作された曲で、シングル盤を発売する際にひばりのスタッフの中で評判が高く、ひばりの母・加藤喜美枝もシングル化を推したことから、アルバムからのシングル・カットとして発売されることになったという話が残る。本楽曲はグループ・サウンズの雰囲気を強調しており、歌番組などでは当時30歳だったひばりが初めてミニスカートを着用し、ゴーゴーダンスを踊りながら歌うなど、それまでのひばりのイメージとは大きく異なる楽曲であり、ひばりの新境地が垣間見えた楽曲であった。結果的に、ブルー・シャトウには及ばなかったものの、140万枚の売り上げるミリオンセラーとなり、記録的な売り上げを残した。これは美空ひばり自身のシングル売り上げ枚数第4位に相当する。後に多数のシンガー、ミュージシャンにカバーされた曲でもある(後述)。作曲を手がけた原信夫は本楽曲が完成した際、ひばりと江利チエミのどちらに歌わせるか迷った末にひばりの楽曲にした。本楽曲がヒットした後にチエミは「あれは本当は私の曲よ」と嫉妬したという。カップリング曲の『やさしい愛の歌』は、やはり『歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念』収録曲で、「真赤な太陽」の作曲を手がけた原信夫が自身のビッグバンドと共に演奏に加わっている。
出典:wikipedia
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