ヤブユム(チベット語: Yab-yum、逐語的には「父上-母上」)は、インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教美術においてよく見られる、男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである。男女両尊、父母仏、男女合体尊とも。男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である。この交合を通じて大楽を導き、解脱に達することが目指されている。ヤブユムは無上瑜伽タントラと象徴主義が結びついたものであり、薄明の言語 () におけるこのシンボルにはさまざまな解釈がある。男性像はたいてい「慈悲」 (karuṇā カルナー) を与える男性原理である「方便」 ( ウパーヤ) 、そしてその伴侶は女性原理である「般若」 ( プラジュニャー) と結びつけられる。方便と般若(智慧)の象徴的交合は、特にチベットのタントラ仏教における中心的な教えである。この交合は、実践者その人の身体における神秘的な体験として実現される。ヤブユムは一般に智慧と方便の原初的(あるいは神秘的)な結合を表現しているものと理解されている。仏教において男性原理とは能動であり、方便(ウパーヤ)を表すものである。それは悟りを得るためには必須のものだ。そして女性原理とは受動であり、やはり悟りには欠かせない知性を表している。これらが合わさることで、この構図はマーヤー(幻影)の蔽いを剥ぎ取り、主体と客体という誤った二元性を克服するために求められる交合の形を取るのである。ヤブユムにおいてはどちらも独立していない。これは至福の境地であり、完成そのものなのだ。ヤブユムは時として非偶像的なヤントラとマンダラという意匠でも表現されることがある。チベット仏教では、同じ思想を鐘とドルジェ(金剛杵)にみることができる。この2つはヤブヤムと同様に、越えられねばならない二元性を象徴化するためにある。聖なるタントラの実践とは、その人の伴侶と睦み合うことで至福、不二、恍惚を体験し、心そのものを急速に成長させることなのだ。ヒンドゥー教にとってのヤブユムはやや違えた意義を持つ。というのも、男性原理と女性原理の意味が逆転しているのである。ヒンドゥー教にあっては抱擁の姿勢こそが神の創造力を表しているのである。この考え方によればヤブユムとは、受動的な男性神の一人が、その能動性や力強さを表す配偶者を抱きしめることを意味しているのだ。シヴァには白の精滴のイメージが、その伴侶たるパールヴァティーには赤の卵(もとは血液を意味するラクタ)のイメージがあてられるように、ここに強い性的な連想を読み取れることは明らかである。また、この形象はしばしば彫刻やレリーフ、タンカ(掛け軸の一種)の題材となる。タントラの実践としてのヤブユムは、身体を持ったパートナーと行うタントラ的なヨーガである。女性パートナーは印女(ムドラー)と呼ばれ、「羯磨印」()は肉体をもった実際の女性パートナー、「智印」(ジュニャーナムドラー)は実際の女性を伴わない観想上のそれを指した。しかし、これを実践することの目的はその性的なエネルギーを自在に操るためであり、最終的には身体を持ったパートナーを伴わない、精神的な行いとなる。どんなヨーガにもいえることだが、(内的火)の基礎がなくては実践できないものだ。この成就法(サーダナ)は「」のひとつである。ヤブユム、そしてカルマムドラーという慈しみ (maitrī) の実践の図像学とは、通達(つうだつ)という方便の根本を識ることそのものなのである。
出典:wikipedia
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