小林 寛(こばやし ひろし、1989年1月21日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。広島県福山市の出身で、同市立西深津小学校2年生の時にソフトボールを始めた。大阪府内への転居を経て、大阪市立生魂小学校3年生の時から天王寺リトル、堺市立浜寺小学校6年生の時に浜寺ボーイズでプレー。堺市立浜寺南中学校への進学後は、高石ボーイズに所属した。島根県の江の川高校に進学後は、2年生の春からベンチ登録。2年生の夏に控え投手として第87回全国高等学校野球選手権大会で甲子園出場を果たすと、初戦(1回戦)の静清工業高校戦に救援で登板した。 大阪学院大学への進学後は、1年生の春から関西六大学野球のリーグ戦に登板。秋季リーグ戦では、3勝を挙げ平古場賞を受賞した。2年生の時には、春・秋季通算で9勝6敗を記録。3年生の春季リーグ戦では、リーグトップの6勝でチームの2位躍進に貢献するとともに、最優秀投手賞を獲得した。また、大学日本代表候補にも選ばれている。 4年生で迎えたの春季リーグ戦では、チーム18年振りのリーグ優勝に貢献(詳細後述)。5月22日の龍谷大学戦でノーヒットノーランを達成するなど、4完封勝利、防御率1.08も記録したことから、最優秀投手賞とMVPを獲得した。なお、チームの優勝によって進出した全日本大学野球選手権大会では、1回戦の金沢学院大学戦に先発で登板。9奪三振を記録したが、被安打11で敗戦を喫した。関西六大学リーグ戦通算では、63試合に登板。35勝21敗、防御率1.46の成績を残した。完投数(47)と完封勝利数(15)は、いずれも通算成績でリーグ歴代1位。勝利数(35勝)・奪三振数(390)は、オリックス・バファローズ投手の平野佳寿が京都産業大学時代に残した記録(36勝・404奪三振)に次ぐ歴代2位である。2010年のプロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズから4巡目で指名。契約金4,500万円、年俸1,000万円という条件で契約した。背番号は12。同期入団の新人5投手で最も早く、春季キャンプ期間中に一軍へ昇格。開幕一軍は逃したものの、6月8日には、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)の救援で一軍公式戦にデビュー。シーズン通算で6試合登板した。9月20日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で一軍初先発を果たしたが、5回を2本塁打3失点で敗戦投手になっている。一軍公式戦への登板機会がなかった。イースタン・リーグでは、公式戦15試合に登板。2勝3敗、防御率4.50の成績を残した。自身2シーズン振りの出場選手登録(4月30日)を経て、救援登板の4試合でいずれも無失点を記録。5月15日の対楽天戦(横浜)で2年振りの先発登板を経験したが、3回3失点で敗戦投手になった。救援で登板した7月10日の対広島東洋カープ戦(横浜)で一軍初勝利を挙げると、以降の公式戦でも先発やロングリリーフに起用。先発で登板した9月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で投球中に左脇腹を痛めたが、阪神タイガースとのシーズン最終戦(10月8日・横浜)では、救援登板で2勝目を記録した。結局一軍では、24試合登板、2勝1敗、防御率2.76という成績でシーズンを終えた。春季キャンプの終盤にいったん一軍へ昇格。その一方で、キャンプ中に右肘を痛めるなど、シーズンを通じて故障に苦しめられた。シーズン終盤の9月25日に出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦への登板機会がないまま、翌26日に登録を抹消。22試合に登板したイースタン・リーグ公式戦でも、1勝2敗1セーブ、防御率4.91という成績にとどまっている。救援要員として自身初の開幕一軍を勝ち取った。4月2日の対広島戦(横浜)で3分の2イニングを投げて一軍初ホールドを記録したが、同月5日に出場選手登録を抹消。しかし、中継ぎ陣の強化を目的にした9月1日の再登録以降は、シーズン終了まで一軍に定着した。春季キャンプ中に一軍へ昇格したが、オープン戦の途中から二軍で調整。イースタン・リーグ公式戦でも、22試合の登板で、1勝2敗、防御率5.87と振るわなかった。「勝ちパターンの中継ぎ投手」としてチームで最も多く一軍公式戦に登板していた須田幸太がレギュラーシーズン終盤の登板中に故障したことを受けて、9月28日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、同日の対ヤクルト戦(神宮)5回裏2死2塁に救援投手としてシーズン初の一軍マウンドを迎えた。同点の場面からの登板だったが、打者2人から1死を奪っただけで、西浦直亨から勝ち越しの2点本塁打を浴びて降板。結局、レギュラーシーズンでの一軍公式戦登板は、この試合のみであった。最速148km/hのストレートと切れの良いスライダー、カーブ、フォークボール、チェンジアップといった多彩な変化球を投げる。憧れの投手はロジャー・クレメンス。投球フォームは、左腕投手であった江夏豊の現役時代を手本にしている。スタミナが持ち味で、2010年の関西六大学春季リーグ戦では、117イニングを投げて9勝と112奪三振(いずれも1人の投手による単季でのリーグ記録)を達成した。このリーグ戦では、5月17日の神戸学院大学戦に9回完投で勝利を挙げると、翌18日の同カードにも先発で登板。試合はリーグ規定で延長19回引き分けに終わったが、小林は19回を1人で投げ抜くとともに、18三振を奪った(いずれもリーグ戦の1試合タイ記録)。さらに、22日の龍谷大学戦で前述のノーヒットノーランを達成すると、26日・27日の神戸学院大学戦で2日連続の9回完投勝利。龍谷大学との最終戦(30日)でも、9回完投勝利でチームを優勝に導いた。制球力にも自信を持っている。関西六大学リーグのリーグ戦では、通算で500回以上のイニングを投げながら、優秀な与四球率(2.16)を記録した。横浜では、小林太志(以下「太志」と略称)が在籍していた2011年から2014年まで、太志と区別する目的で本名の「小林寛」を略称にも使用していた。2014年限りで太志が退団したことを機に、苗字の「小林」を自身の略称に用いている。また、入団2年目の2012年からは、春季キャンプの前にチームメートの三浦大輔・国吉佑樹などと合同で自主トレーニングを敢行している。2011年に横浜ベイスターズの情報番組『Love BayStars』(TBSテレビ)でMCを務めた杉本有美は、小学校時代の同級生。小林自身は、同年の仙台遠征で知り合ったアクセサリーデザイナーの女性と、2014年12月11日に結婚している。
出典:wikipedia
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