マーティン・ファクラー(Martin Fackler, 1966年11月16日 - )はアメリカ人ジャーナリスト。2009年2月から2015年7月までニューヨーク・タイムズ(NYT)東京支局長。2015年8月1日付で独立系シンクタンク日本再建イニシアティブ(船橋洋一理事長)の主任研究員兼ジャーナリスト・イン・レジデンスに転出した。アメリカ合衆国アイオワ州生まれジョージア州育ち。ダートマス大学2年のときに中国語と漢文習得のために東海大学 (台湾)に留学したことで東アジアと関わり始める。慶応義塾大学で日本語習得の機会があり来日、その後1993年東京大学で経済学修士取得。1994年イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でジャーナリズム修士号取得後、1996年カリフォルニア大学バークレー校で東洋史研究によりPh.D.取得。1996年からブルームバーグの東京駐在員。1年半後にAP通信に移り、東京を皮切りにニューヨーク、北京、上海で活動。2003年からウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の東京駐在員として金融、財政、貿易、外交などをレポート。2004年インド洋津波の取材において、アジア出版協会(The Society of Publishers in Asia)から国際取材賞を受賞。2004年に25年勤めたWSJからNYTに移ったばかりのラリー・イングラシア(Larry Ingrassia)に引き抜かれ2005年からNYT東京駐在員、東南アジア支局長に転出したノリミツ・オオニシの後を受け2009年2月から同紙東京支局長。WSJ、AP通信を経て、2009年2月にNYTに移った田淵広子(Hiroko Tabuchi)とともに同紙日本トピックキュレーターも務める。ファクラーらによる東日本大震災に関する報道は「国土を破壊し、原子力事故を引き起こした津波、地震後、日本政府が隠蔽した一連の深刻な失敗を力強く調査したことにより(NYTウェブサイトより)」、2012年ピューリッツァー賞のファイナリスト(最終選考対象)にノミネートされた。また、調査記事チームの一員として、米国海外報道クラブ(Overseas Press Club of America)のハル・ボイル賞(Hal Boyle Award)の次点、またアジア出版協会から調査報道として優秀賞を受賞した。そのほか同僚と共に、2011年のエネルギー関連報道で世界エネルギー賞の優秀賞を獲得した。東日本大震災に際しては精力的な取材と報道を行い、2012年のピューリッツァー賞にノミネートされるなど高く評価された(後述)。小沢一郎に対する検察捜査のあり方と当局の発表を無批判に報道する日本の記者クラブのあり方を批判し、2009年3月から2010年1月にかけて、西松建設事件を巡る問題を報道。その後、記者クラブの批判者として日本のメディアから多くの取材を受ける。2012年8月2日には「強い円は日本の世代を分断する」と題する報道を行い、円高によるデフレーションは金融資産を保有する高齢者に有利に働き、政治的影響力の強い高齢者の多い日本ではこの傾向を反転させるのは難しいだろうと述べた。これに対し、藤崎一郎駐米大使が強い不快感を表明する一方、同じく円高や景気の動向の影響を受けにくく政治的影響力の強い公務員の影響が抜け落ちているとする批判もある。2012年8月19日に、中国との領土問題を抱える尖閣諸島に日本の議員らが上陸したことについて、彼らをNationalist(民族主義者)と表現。第3次安倍内閣の意を受けた放送局上層部により「報道ステーション」「NEWS23」「クローズアップ現代」で次々にキャスター・アンカーが交代させられている状況を憂えて2016年2月、『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』を上梓。同書の中で「日本の記者達は安倍の気に入るような質問しか出来ないし、記者会見は政府公式発表の場と化している」「安倍は日本外国特派員協会との会見には一度も出た事がない。予定調和を壊されるのが怖いのだ」と述べている。2011年3月11日の東日本大震災の翌日には被災地に入り、茨城県那珂湊、宮城県仙台市、名取市を皮切りに東北各地から被害の様子を伝えた。被災直後の宮城県南三陸町からは、九死に一生を得た町長の声、孤立した集落の住民が自立して生活の組織を作っている様子、岩手県大槌町からは、家族を失った悲しみや被災した学校の様子、宮古市からは、津波石にまつわる歴史的な話などを伝えた。石巻市からは、「捕鯨産業をなくして町の将来が台無しに」と、津波の非情と地元の悲しみを細やかに伝える記事を書いたが、一部では「Japan's tsunami seems to have succeeded — where years of boycotts, protests and high-seas chases by Western environmentalists had failed — in knocking out a pillar of the nation's whaling industry」との記述が(長年の反捕鯨運動や西洋の環境保護団体にも成し得なかった日本の)「捕鯨産業を倒すのに成功した、と肯定的に報道した」というとらえ方をされ、これに対し在ニューヨーク日本国総領事館が厳重抗議したと報道じられた。原発事故直後の南相馬市からは、日本人記者もいなくなり取り残される不安を抱えた桜井勝延市長の訴えを報じ、後に市長は、TIME誌の世界に影響力のある100人に選ばれた。また、原子力発電所事故に関連して、日本の原発を巡る政官財の利権構造および地方の原発依存と疲弊、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による放射線測定結果の政府の発表の遅れ、原発事故の情報開示を巡る菅政権と米政府間の当初のぎくしゃくした関係、東電の政治的な力やいわゆる発送電分離などを含む改革への抵抗などの調査報道記事を書いている。また、福島第一発電所内部からレポートをした。これらに関連し2012年7月、双葉社から『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』を上梓、3.11などの報道を通して、日本の新聞が抱える問題点や記者クラブ制度の問題点を指摘した。2015年3月に神奈川新聞から取材を受け、日本のメディアの報道のあり方を「最悪だ」として批判した。同年1月に起きた「イスラム国」による邦人人質・殺害事件(ISILによる日本人拘束事件)に対する日本のマスコミの対応を強く批判し、「日本のメディアの報道ぶりは最悪だと思います。事件を受けての政府の対応を追及もしなければ、批判もしない。安倍首相の子どもにでもなったつもりでしょうか。保守系新聞の読売新聞は以前から期待などしていませんでしたが、リベラルの先頭に立ってきた朝日新聞は何をやっているのでしょう。もはや読む価値が感じられません」と述べた。また一方で、「私がいま手にするのは、日刊ゲンダイ、週刊金曜日、週刊現代といった週刊誌です。いまや週刊誌の方が、大手紙より読み応えがあるのです」とも述べている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。