磯部(いそべ)は、茨城県つくば市の地名。人口は155人(2011年8月1日現在、行政区別人口統計表による。つくば市調べ。)郵便番号は300-4248。つくば市北西部に位置する。桜川が作る沖積地と筑波台地から成り、前者に安森と磯部、後者に荒谷の集落がある。水田の広がる地域である。東は田中、西は高野原新田、南は明石(あけし)、北は洞下(ほらげ)・池田と接する。安森坪にある安森遺跡からは、弥生時代の土器や須恵器、土師器が見つかっている。室町時代の文安元年(1444年)には、光栄という人物が書写した『法華玄義口伝抄』に「磯部」、翌・文安2年(1445年)の『法華文句口伝抄』に「磯部郷」の文字が見られる。また、文禄4年7月16日(グレゴリオ暦:1595年8月31日)の『中務大輔当知行目録』に「百九拾四石七斗三升六合 いそへ」とあり、佐竹義久の領地であったことが分かる。江戸時代には常陸国筑波郡に属し、磯部村(磯辺村とも表記)と称した。初めは佐竹氏領であったが、慶長8年(1603年)から小張藩領 、元和2年(1616年)から天領、寛永2年(1625年)からは旗本・本多氏領と変遷した。村高は寛永2年(1625年)時点で294石余で、年貢米は宗道河岸(現在の下妻市宗道)まで駄送りした。明治時代の大区小区制下の磯部村は、新治県治下の1872年(明治5年)に第二大区第三小区に、茨城県治下の1875年(明治8年)5月には第十一大区第六小区に組み込まれた。1878年(明治11年)7月に郡区町村編制法が公布されると、磯部村は上菅間村連合村に、1884年(明治17年)には中菅間村連合村に加わった。町村制の施行以降は、所属市町村名を変えながら大字として現在も存続している。1906年(明治39年)には耕地整理事業認可の申請が茨城県に出され、1907年(明治40年)2月から着工した。これは磯部だけでなく、池田・中菅間・田中まで及び、面積158町、総工費36,125円という菅間村を挙げての大事業で、1912年(明治45年)5月までかかった。これにより、生産力が向上した一方、小作料の増大や村政の運営が不安定になるなどの課題を生んだ。磯部は田んぼでメダカの生息する、つくば市では数少ない地域であった。しかし、2002年(平成14年)中に水路がコンクリートで固められることになったため、地元の特定非営利活動法人つくば環境フォーラムを中心に、磯部地区の溜め池やつくば市立筑波西中学校に設置されたビオトープでメダカの保護飼育が始まった。総数 [戸数または世帯数: 、人口: ]市立の小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。。
出典:wikipedia
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