金 正男(キム・ジョンナム、1971年5月10日 - )は、北朝鮮の第二代最高指導者金正日の長男である。金正日を父に、成恵琳を母に北朝鮮の平壌で生まれる。出生当初、父・正日は息子の存在を外部に知られないようにしていた。また、正男のことを祖父・金日成主席は、かなり可愛がっていたという。スイスのジュネーヴのインターナショナルスクールなどに留学歴があると言われているが詳細は不明。なお、12歳から14歳まではソビエト連邦のモスクワで暮らしていたという。1995年からは中華人民共和国の北京で暮らし始め、上海の経済発展ぶりを見て北朝鮮の改革開放を志すようになる。母国語の朝鮮語の他に英語やフランス語(それぞれ2007年2月12日と2007年11月13日にフジテレビのFNNスーパーニュースで記者とのやり取りが報道された)を話し、またロシア語、中国語(広東語)もある程度話せるようである。日本語については、日本人記者の「日本語は分かりますか?」という朝鮮語の質問に、日本語で「日本語ワカリマセン」と答えている。1988年に17歳で就任したコンピュータ委員会委員長としてソフト産業の振興発展、朝鮮コンピューターセンターの創設と北朝鮮サイバー軍の育成、光ファイバー情報ネットワーク「光明」の構築などを指導したといわれる。2007年8月27日に大韓民国の「朝鮮日報」は、金正男が2007年6月帰国し、以前父親の金正日が所属していた組織指導部に所属していると報道した。ただこれに関しては、金正男は平壌に年に数回来ることはあるが、平壌で暮らしてはいないとする情報もある。2007年1月30日に在香港の複数の情報筋が、金正男と思われる男が、中華人民共和国の特別行政区であるマカオ入りしたことを明らかにした。アメリカ合衆国の北朝鮮に対する金融制裁により、マカオの金融機関「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」にあった約2400万$に上る北朝鮮関連口座が凍結されており、中朝関係筋は、北京で同日始まった金融制裁問題に関する米朝専門家会合に関連して、金正男がマカオ入りした可能性を指摘している。なお、エレベーター内の取材で「日本の拉致問題」の事を話すとノーコメントだった。なお、同時に日本や韓国のメディアで、「金正男とその家族がマカオ市内に住居を構え長期間滞在し、マンダリン・オリエンタルホテルなどでヨーロッパの高級ブランド品などのショッピングを楽しんでいる」と報道された。2011年現在もマカオに滞在して活動しているとみられる。金正日の長男という立場でありながら、後継者問題(後述)に現北朝鮮の政治体制をゆるがしかねない批判あるいは意見を広く西側に向けて発信していることから、軍部を中心に北朝鮮側にとって疎まれる存在であるとみられている。近年では父親である金正日への接触はもちろん、公式非公式問わず北朝鮮への入国や北朝鮮指導部とも接触が報道されたことはない。同年12月17日の金正日の死去においても、テレビで初めて知らされたことが伝えられている。しかし金正男は直後に「金哲(キムチョル)」という名義のパスポートを使い、平壌直行便のある北京経由ルートを避けて本国に帰国、金正日の霊前との対面を果たし金正恩を含む家族とともに別れを告げたとみられる。数日後にはマカオに戻った。なお、公式な葬儀への参列は確認されていない。その後、ロシアメディアなどが、金正男が妻や子供は中華人民共和国の支援によりマカオ市内の高級マンションに住み、金正男本人は北朝鮮支援によるホテル住まいであることなどが伝えられていたが、北朝鮮本国で金正恩体制が確立された2012年に入り、ホテルの1万5000ドルの宿泊代を払えずに退去し、これは北朝鮮側からの送金停止によるものではないかと伝えられた。さらに、4月22日に、金永日朝鮮労働党書記が北京で戴秉国国務委員と会談した中で、マカオに住む金正男の身柄引き渡しを要求し、中華人民共和国側が拒否したと伝えられた。しかし別のメディアでは、5月に平壌に戻って再度出国したと報じられるなど、現政権との関係については情報が錯綜している。朝鮮の儒教では相続するのは長男であることから後継者候補であるとされてきたが、上述のとおり略奪愛の末にできた子であることから金正日は彼の存在を隠しており、金正日の料理人であった藤本健二は「将軍(金正日)や軍大将、党幹部らが集まる宴席で彼の姿を見たことはないし、噂話として語られたことは一度も無い」一方「金正哲や金正恩の話は将軍からよく聞きましたし、遊び相手でもありました。きっと彼は長男の存在を隠し通したかったのではないでしょうか」と否定的であった。2007年2月25日に、日本や韓国のメディアで金正男が後継者問題について「関心が無く、させられてもやらない」と知人に述べていることが報道された。ニュースでも「色々な所に行って 後継者になったりするのか」、「後継者とは考えられない」という発言があった。また、金正日にロシア語を教えた金賢植によると、「正男は出生当時、出生が極秘にされたことから、後継者になるのは難しい」との見解を示した。ところが、次男の金正哲を推す軍部の強硬派である李済剛が失脚し、正男を推す金正日の義弟の張成沢が権力を掌握、正男が後継者になる可能性が高まったとの報道もある。その後2008年9月には金正日の重病説が流れたこともあり、一部では後継者問題に再び火がついたという見方をされている。2009年6月5日に、西側諸国のメディアで「金正男が滞在先のマカオから中華人民共和国(もしくはアメリカか韓国)に亡命する見込みが強まっている」との報道がなされた 三男の金正恩を後継とする体制づくりが急ピッチで進んでいるとされる。だが、6月9日にマカオでテレビ朝日の「報道ステーション」の単独インタビューに応じ、「政治には興味が無い。金正恩との関係は自分の弟であるという関係である。後継者については報道で知り、後継は父が決めたことだからそれに従う。マカオは旅行で滞在し亡命ではない」と語った。なおこの頃、金正恩によって暗殺されかねない状況にまで追い込まれたことがある。慌てた金正日が金正男暗殺阻止のため、中国政府に彼の身辺擁護を依頼したほどである。三男の金正恩が後継者として就任するのを反対している。反対している主な理由は、天安沈没事件と2009年に行われたデノミ施策が金正恩指揮の下で行われたため。2010年9月、金正恩への権力世襲について、韓国の民主平和統一諮問会議の李首席副委員長は、金正男と親密な関係者から、『正男が「滅びるのに。長続きすると思うか」と述べた』と聞いた。2010年10月9日、テレビ朝日のインタビューに対し、「1つの家族が3代続いて権力を世襲することに、個人的には反対だ」と述べた上で、金正恩が後継者に決定したことについては「ある内部的な事情」が背景にあるとして、「決定には従うべきだろう」「わたしの父(金総書記)が決定したことだと思う。だが、わたしには関係のないことだし、関心もない」と語った。金正恩に対しては、北朝鮮人民の生活向上に最善を尽くすことを要望し、必要であれば支援する用意があると述べた。観光などを目的に偽造パスポートを使い日本に何度か不法入国していたことを本人が認めている。来日時に「東京ディズニーランド」にも出入りしていたと伝えられているほか、赤坂の韓国バーなどで朝鮮総連関係者や暴力団関係者と接触していたと伝えるメディアもある。また密輸資金の回収が過去数回の不法来日の目的ではないかとも報じられた。2001年5月1日に、「金正男と見られる男性」が新東京国際空港で東京入国管理局成田空港支局に拘束されるという事件が発生した。男は妻子を連れており、ドミニカ共和国の偽造パスポートを使用して中国名の『』という偽名で入国を図ったところを、拘束・収容され、その際に背中に虎の刺青が施されていることが判明。同月3日に身柄拘束の事実が報道によって明らかとなったが、外交問題に発展することを恐れたことと、当時北朝鮮にいた日本人観光客の人命を保護するために政府(小泉純一郎首相、、退去強制処分(事実上の超法規的措置)とされ、翌4日に、2階席を貸し切り状態にされた全日本空輸のボーイング747-400型機で中華人民共和国の北京市に向けて出国した。なお同社の同路線は通常ボーイング767型機で運航されていることから、金正男とその家族の移送のために、予備機として成田空港にあったボーイング747-400型機に振り替えて運行されたものと思われる。北京に移送される際の映像がテレビで何度も放映された。この男について、日本及び北朝鮮政府いずれからも、金正男本人かどうかの正式な発表はないが、韓国政府筋は「金正男本人」であるとした。この男は、「東京ディズニーランドに行きたかった」と弁明した。実際に、2009年1月24日に北京国際空港に現れた金正男本人が、日本のマスコミにインタビューを受けた際のやり取りにおいて、2001年に日本に不法入国しようとした理由につき、「日本という国に興味があったので旅行にいきました」、「日本はとても清潔で美しい。また経済的にも非常に発展している国だと思います」と答え、日本へ入国した過去があることと、2001年5月に成田空港で拘束された「金正男とみられる男性」が、本人であることを事実上認めている。
出典:wikipedia
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