坂田 将人(さかた まさと、1993年3月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する福岡県朝倉市出身のプロ野球選手(投手)。小学4年からソフトボールを始める。中学時代は、地元の朝倉ドジャーズに所属し2年時から投手を務めた。祐誠高校への進学後は、1年時の秋からベンチ登録。3年時には、春季九州大会で奪三振を量産するとともに、チームをベスト4に導いた。夏の全国大会の福岡県予選では、福翔高校との3回戦で、2点リードの6回に一挙5点を失って敗退した。2010年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスからの5巡目指名を受けたことを機に、入団へ至った。入団当初の背番号は67。には、三軍戦で16試合に登板。65イニングを投げて9勝を挙げた。失点はわずかに10で、66三振を奪ったことから、奪三振率は9.14に達した。一・二軍とも公式戦への登板機会はなかったが、10月10日のみやざきフェニックスリーグ・対読売ジャイアンツ(巨人)戦で二軍戦デビューを果たした。には、左肩を故障した影響で、一・二軍とも公式戦への登板機会はなかった。三軍戦への登板も4試合にとどまった。左肩の故障は深刻で、手術しても完全な復帰を保障できないほどだったが、シーズン終盤の9月12日に左肩上方関節唇を手術。同月27日からリハビリを開始した。には、左肩のリハビリに専念したため、実戦登板の機会はなかった。10月7日に球団から支配下選手契約の解除を通告されたが、秋季キャンプには参加。11月30日には、育成選手契約を結んだことや、背番号を120に変更することが球団から発表された。に、三軍戦で26試合に登板。83イニングを投げて、防御率2.17、奪三振率8.35を記録した。10月17日には、みやざきフェニックスリーグの対埼玉西武ライオンズ戦の先発投手として二軍戦に復帰。シーズン終了後に派遣されたプエルトリコのウィンターリーグでは、11月11日から28日まで4試合(先発で2試合)に登板した。しかし、12月6日に腰痛を発症したため、リーグ戦の途中で日本への帰国を余儀なくされた。なお、育成選手に関するNPBの規定に沿って、10月31日には前年に続いて自由契約選手として公示。12月18日には、育成選手として再契約を結んだことが球団から発表された。6月28日のウエスタン・リーグ公式戦・対中日ドラゴンズ戦(KYBスタジアム)で、先発投手としてリーグ戦デビュー。巨人とのファーム交流戦(7月25日・雁の巣球場)では、先発で5回表まで巨人打線を1安打に抑えると、7回2安打2失点という内容で二軍ながら公式戦初勝利を挙げた。シーズン通算では、ウエスタン・リーグ公式戦9試合に登板。47回を投げて、3勝2敗、41奪三振、防御率2.11という成績を残した。さらに、シーズン終了後の11月27日には、支配下選手契約を結んだことが球団から発表された。支配下登録選手への復帰は自身2年振りで、復帰後の背番号は49。支配下選手に復帰しただが、左肩痛の影響で一、二軍とも公式戦での登板はなかった。9月9日には左肩上腕二頭筋腱の手術を受けたことが発表された。10月4日、球団から戦力外通告を受けた。流れるように美しい投球フォームが特徴。投手としては小柄な体格で、ストレートの最速記録は138km/hながら、切れ味とコントロールは「(入団当時にソフトバンクのエースだった)杉内俊哉に匹敵する」と評価されている。
出典:wikipedia
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