オータジマとは日本の競走馬である。1959年春の中山大障碍に優勝した。父は皐月賞、菊花賞を制した二冠馬トサミドリ。種牡馬としてはオータジマの他にハルボー、トサキング、フエニツクス、ライトリアの計5頭が大障害に優勝しており、これはモガミに次ぐ第2位となっている。母は1948年の農林省賞典(現・皐月賞)に優勝したヒデヒカリである。1957年に地方公営でデビューし数回勝利した後に中央競馬に移籍。同年12月の中山から中央の競走に出走した。翌年3月までに8戦して全て5着以下と不振だったが、5月に11戦目にして初勝利を挙げた。その後7月までに5戦1勝の成績を残し、9月の東京開催から障害競走に転じた。障害初戦は同じ4歳馬のホリホツクから1.3秒差の3着に敗れたが、2戦目の四歳馬障碍から3連勝して11月の東京障碍特別に出走した。4頭立てという少頭数の競走となり、障害入り8戦6勝で4歳馬にして秋の大障碍2着のホリホツクが圧倒的1番人気。そして春の東京障碍特別の優勝馬イシカリが2番人気、ホリホツクはイサミオーと同票の3番人気だった。しかし、レースではホリホツクが開始早々襷の生垣で飛越が遠く騎手が落馬、最初の障害で3頭立てとなった。その後はイシカリが逃げる展開になったが、オータジマが最後の直線で抜き去って1馬身3/4差で勝利した。2週間後の東京の障碍オープンでも同斤でホリホツクに勝利したが、優勝戦ではホリホツクに2馬身半敗れて連勝が5でストップ。続く中山の障碍オープンでもホリホツクに敗れたが、年末から再び4連勝を記録して4月には京都大障碍を目指して西下した。しかし、前哨戦となった京都競馬場の障碍特別で2周目の空堀飛越で後肢を落として負傷し4着に敗れると、結局京都大障碍は自重して中山に戻った。その後東京で3戦2勝という成績で、6月末の中山大障碍に向かった。中山大障碍はこの年から着外賞が10万円に増額されたこともあり、第1回以来最大でも8頭立てだった大障碍が11頭という多頭数で行われた。1番人気は春の京都大障碍に勝ったイチイチで、2番人気にオータジマ、前走中山でイチイチを破ったタカヒロが3番人気となった。スタートは1度目はバリアーが上がったがヨドノカゼらが出遅れてカンパイ、2度目は揃ってスタートし、コンリユウ、ブルーが他馬を引き離して逃げ、オータジマ、バイホウ、イチイチ、タカヒロらが中段を形成する展開となった。大竹柵でオータジマは着地が悪く、腰がくだけたが持ち直した。大土塁手前でコンリユウが先頭に立ったが、ブルーが3角で抜き返して最終障害を飛越。しかしここからオータジマが進出し、直線手前でコンリユウを捕え、直線でブルーを競り落として優勝した。オータジマは大障害の3週間後の7月17日に中央競馬の登録を抹消して大井競馬場に移籍。2ヶ月後の日本テレビ盃に勝ち、1961年4月にはオールカマー1ハロンハンデで後に天皇賞、有馬記念に優勝したオンスロートに勝つなどの成績を挙げた。
出典:wikipedia
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