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三宅貞祥

三宅 貞祥(みやけ さだよし : 明治41年(1908年)3月23日-平成10年(1998年)9月30日)は、昭和・平成期の日本の動物学者。十脚目、特に異尾類の分類で功績を残した。日本甲殻類学会設立時のメンバーの一人であり会長も務めるなど、甲殻類研究の発展に寄与した。明治41年(1908年)3月23日、香川県小豆島に生まれ、大正9年(1920年)に岡山県へ移った。昭和7年(1932年)に岡山市の旧制第六高等学校を卒業し、九州帝国大学(現 : 九州大学)農学部に入学した。指導教官の大島広は棘皮動物研究者であったが、三宅の最初の論文はカクレガニの幼生についてのものであった。また大島の八重山諸島での調査にも同行した。後に三宅が記載したアカホシカニダマシ "Neopetrolisthes ohshimai" Miyake, 1937 は、師の大島に対する献名がなされている。昭和10年(1935年)に九州帝国大学を卒業後は無給副手に着任した。昭和13年(1938年)にはパラオ熱帯生物学研究所に赴き、半年間サンゴ礁の動物について研究を積んだ(当時のパラオは日本の委任統治下にあった)。この時期に収集した標本が後の「三宅コレクション」の基礎となる。昭和16年(1941年)に助手、昭和22年(1947年) 九州大学 農学博士 「日本及びその近海に産する異尾類の研究 」。 昭和24年(1949年)に助教授となり、翌昭和25年(1950年)からは昭和天皇への御進講も務めた。昭和36年(1961年)に教授となった。この頃、三宅の他に酒井恒、久保伊津男らも甲殻類研究を行っていた。さらに小田原利光による『小田原甲殻類博物館』開館、昭和天皇の還暦を記念して大英博物館甲殻類部長イザベラ・ゴルドンが招聘され昭和天皇との会談、講演、採集を行うなど、日本における甲殻類研究が盛り上がりを見せていた。三宅が教授になった昭和36年(1961年)4月7日、小田原甲殻類博物館でゴルドンと日本の研究者13人が集まり「日本甲殻類学会」が発足した(初代会長は酒井恒)。昭和47年(1972年)に九州大学退官後は九州産業大学教授に着任し、昭和56年(1981年)まで務めた。昭和53年(1978年)には昭和天皇が相模湾で採集した標本を三宅が取りまとめた『相模湾産甲殻異尾類』が出版された。また九州産業大学退職後の昭和57年(1982年)には三宅が執筆した『原色日本大型甲殻類図鑑 I』(エビ・ヤドカリ・シャコ)、翌昭和58年(1983年)には『原色日本大型甲殻類図鑑 II』(カニ)が出版された。昭和62年(1986年)からは自身が設立に関わった日本甲殻類学会の第2代会長に就任した。平成10年(1998年)9月30日、肺炎のため福岡県久留米市の病院で死去したが、その寸前まで甲殻類研究の発展に尽くした。享年90。甲殻類研究の中では十脚類、特に異尾類の分類・研究で功績を残した。三宅によって記載された新種は102種、さらに三宅によって設定された新属も7属ある。九州大学教授時代の三宅は、嶺井久勝(1961年より助手)とともに大学院生9名を指導した。当時は甲殻類を研究する大学院は九州大学のみであった。三宅の指導を受けた院生は酒井勝司(のち四国大学)、馬場敬次(のち熊本大学)、三矢泰彦(のち長崎大学)、林健一(のち水産大学校)、仲宗根幸男(のち琉球大学)、橋口義久、武田正倫(のち国立科学博物館)、藤野隆博(九州大学)、Yu,S.P. であり、いずれも20世紀後半から21世紀初頭にかけて甲殻類研究で実績を重ねている。甲殻類の中には、三宅の功績を記念した献名がなされたものも多い。また、三宅が収集・研究した標本類「三宅コレクション」は北九州市立自然史博物館に収蔵され、北九州市立いのちのたび博物館に引き継がれている。

出典:wikipedia

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