トゥリオ・ピネリ(, 1908年6月24日 - 2009年3月7日)は、イタリアの脚本家、小説家である。トゥリオ・ピネッリとも表記される。イタリア王国(現在のイタリア共和国)トリノに生まれる。貴族の出身で、騎兵将校、法律家といった職を経て、舞台の戯曲を書き始める。戯曲が注目され、映画界に入り、1943年に脚本家としてデビューする。1952年、ピエトロ・ジェルミ監督の『越境者』の脚本で、同作を共同執筆したジェルミ、フェデリコ・フェリーニとともにドイツ映画賞敢闘賞を受賞する。1957年、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニとともに第29回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる。1958年、フェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、エンニオ・フライアーノとともに第30回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる。1959年、フェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本で、同作を共同執筆したピエル・パオロ・パゾリーニ、エンニオ・フライアーノとともに、スペイン・バルセロナでのサン・ジョルディ賞最優秀外国脚本賞を受賞する。フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、エンニオ・フライアーノとともに1961年にはナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、1962年には第34回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる。1964年、フェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、エンニオ・フライアーノとともに、ナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、同年の第36回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる。1976年、マリオ・モニチェリ監督の『私の友だち』の脚本で、同作を共同執筆したレオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベルナルディ、ピエトロ・ジェルミとともに、ナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞ならびに同最優秀原作賞を受賞する。1982年、マリオ・モニチェリ監督の『グリッロ侯爵』の脚本で、同作を共同執筆したモニチェリ、ピエロ・デ・ベルナルディ、レオ・ベンヴェヌーティ、ベルナルディーノ・ザッポーニとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞する。1986年、マリオ・モニチェリ監督の『女たちのテーブル』の脚本で、同作を共同執筆したモニチェリ、ピエロ・デ・ベルナルディ、レオ・ベンヴェヌーティ、スーゾ・チェッキ・ダミーコとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞、ならびに同年のダヴィド・ディ・ドナテッロ賞最優秀脚本賞を受賞する。1988年、フランスの女優マドレーヌ・ルボーと結婚する。満90歳を迎える1998年、マクシミリアン・ロベスピエールに題材をとった小説『ロベスピエールの家』 "La casa di Robespierre" を執筆し、出版される。2009年3月7日、老衰により死去した。満100歳没。83作の脚本作がある。
出典:wikipedia
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